【11/08 Day12】BCーハイキャンプ

悪夢

夜中は呼吸がやはりどうしても浅くなり、

頭の鈍痛は常につきまとい、

まともに眠ることはできなかった。

時折目が覚めては目をつむり、

ウトウトするというのを延々と繰り返す。

そして、横になっていると寒さが堪える。

日本から持参したイスカの厳冬期用シュラフに、

インナーシーツを入れて横になって

どうにか耐えられる。

眠りが浅いので、

夢とも現実ともつかない認識で夢を見ていた。

ゴンブーとヴィシュヌがダワと結託して、

わざわざ私の胃が受け付けない料理を提供して

私を殺そうとしているように思えるような状況で、

それを感じ取って私も彼らに敵意の感情を抱くといった、

そんな夢をみた。

この日は、昼間に隣のテントから

ゴンブーとヴィシュヌの声で、

悪ノリをしているかのようなふざけた感じの大きな笑い声が

時折聞こえてきた。

その影響と、

ゴンブーが大量の辛くて脂っこい料理を

提供し続けてくるという事実を、

私のレム睡眠中にある脳味噌が、

無意識下で勝手に解釈し、

映像化し、

そのような現実であるということを

夢という形で私に見せてきたのである。

しかしそれは悪夢という認識ではなく、

現実のもののように思えた。

BC(ベースキャンプ)出発~HC(ハイキャンプ)へ

朝は7時半起床。

8時にゴンブーが朝食を運んできてくれた。

ミューズリーとミルクと砂糖。

ボリュームは控えめで、食べやすいものを用意してくれた。

この日は体調が多少はマシに感じられ、朝食もどうにか食べることができたので、予定通りハイキャンプを目指すことに。

出発は9時ごろ。

完全に勘違いをしていたのだが、標高5500mのハイキャンプへは、ポーターふたりもテントを担いで上がる。

予定では、ベースキャンプより上はガイドと私のふたりきりとなり、ポーターふたりはベースキャンプでお留守番をするのだと思っていた。

私の体調が芳しくないので、なるべく上までお供してくれることに予定変更してくれたのだろうとその時は思った(※後に、元々ポーターもハイキャンプまで一緒に上がる予定だったらしいことがわかった)。

この時、すでに昨晩にみた悪夢や、彼らに対する敵意の感情は忘れていたのだが、急なザレ場の九十九折りの急登を喘ぎながら歩いている時にふとフラッシュバックして来たのだった。

ベースキャンプからの登り出しは、いきなり急登かつ単調な九十九折りの道である。しかも常に足場はザレザレかつ斜めっているので、滑りやすくて歩きにくい。

しばらく登ると、左手に岩が差し掛かって方向が変わるあたりで少し休憩する。

目指すチュルーウエスト(6914m)の全貌が大きく現れてくる

目指すチュルーウエスト(6419m)の全貌が大きく現れてくる

雪に覆われた巨大なチュルーウエストの真っ白な全容が姿を現し、このあたりにきてようやく迫力をもって感じられる。

ここからみた山容は、Webでブログ等の記録で見たことがあり、「ここまで長いこと歩いてきて、やっとこの場所なのか」と思った。

これまでの埃っぽい砂砂利道から、この先はガラガラの浮石の多いさらに急な岩場へと変化する。

息がすぐに上がってしんどい。

高所民族のシェルパ族であるガイドとポーターは、重荷を持って淡々と登ってゆく。

しばらく登ってまた腰を下ろす。

ここから先は、固定ロープを使って上がってゆくセクションとなる。

固定ロープを使って登る岩場セクションがはじまる

固定ロープを使って登る岩場セクションがはじまる

私はすでに酸欠により意識が朦朧としており、休んでいる間も目を閉じて突っ伏していた。

今日も天気は非常に良く、太陽光線がめちゃくちゃ眩しい。

とにかく呼吸が苦しくて仕方がない。

すでに標高は5000mを超えていた。

固定ロープはたしか、我々のパーティではゴンブーが固定用の白いスタティックロープを持参していたのを見ていた。

それを使うのか?と思いきや、このルートでは残置の固定ロープがあり、これを使うようだ。

なんかロープをゴンブーらが予め設置して、それを利用するものだとダワから聞いていた気がしたが、そういう作業をしている様子も始終見られず、結局は残置ロープを使用した。

ロープセクションでは、ハーネスを装着し、これにアッセンダーとPAS(セルフビレイコード)を取り付けてロープ登高をする。

アッセンダーにPASを取り付け、ロープ登高する

アッセンダーにPASを取り付け、ロープ登高する

私は普段からジムでボルダリングをやってるし、外岩でフリークライミングをやってきた経験もあるので、アッセンダーによるロープ登高は全く難しいとは感じなかった。

垂直に近い85〜90度の岩場が、15〜20m程の距離で立ちはだかる。しかし、普段はクライマーである私にとっては、技術的には全く難しくはないし、想定を超えるような難しさでもない。

なんなら固定ロープにアッセンダーをつけて登るので、少し余裕を持って楽しめるくらいですらある。

垂直の岩場を超えるセクションでは、酸素の薄さを忘れて、すこし楽しんですらいた。唯一、酸欠によるしんどさを忘れることができた時間だった。

薄い酸素の中、ロープ登高は楽しめた!

薄い酸素の中、ロープ登高は楽しめた!

しかし、それが終わると、呼吸の苦しさに気づいて跪く。

そういったことを何回か繰り返した。

傾斜は垂直に近いがホールドは豊富で難しくはない

傾斜は垂直に近いがホールドは豊富で難しくはない

固定ロープが張られているセクションは、4箇所くらいあった。

私自身はそこを淡々と乗り越えられるのだが、超重荷を背負っているポーター達はどうなのか?

少し心配になったが、どうも全く問題なく乗り越えられたようだった。

重荷を担いでいても問題なし!頼れる仲間たち

重荷を担いでいても問題なし!頼れる仲間たち

固定ロープ登攀セクションを終えると、ついに雪が出てきた。

雪面の上を歩くセクションは、標高5500m付近からやっと出てきた。

視界は緑色の光でパチパチしていて、物凄い絶景なんだけどそれに感動する余裕がなく意識は朦朧としている。

どうも岩峰の頂上近くまで登ってきたようだ。

雪面を歩き、岩場を左側から大きく回り込むようにして歩みを進めてゆくと、今度は少し下りにさしかかる。

景色は一変し、視界一杯に大きな氷河と白い雪の斜面が飛び込んでくる。

標高5500m付近。ついに高所登山の感が出てきた

標高5500m付近。ついに高所登山の感が出てきた

トレッキングシューズを履いていたので、歩いていると雪面に足首までズボズボ埋まる。

まもなく本日停泊するキャンプ地に到着した。

私は酸欠で意識が朦朧としていたので、何も考えることができず、そのへんの斜めった地面の石の上に座ってただひたすらぼーっとしていた。

ダワがザックからテントを取り出して、まずはひとり設営作業をはじめる。

まもなくゴンブーとヴィシュヌが後から到着し、設営作業を手伝う。

ハイキャンプ(C1・5500m)でのテント設営作業

ハイキャンプ(C1・5500m)でのテント設営作業

私は疲弊しすぎていて、なんにもすることが出来ず朦朧とする意識の中で、彼らが作業するのをただただ眺めているだけだった。

ここでも彼らは、「私1人用のテント」と「彼らシェルパ3人が泊まる用テント」の二張りを立て、私は広いテントをひとりで使わせてもらえたのだった。

設営場所はすこーし狭くて斜めってはいたけれど、ダワは過去に何度か来たことがあり、その経験と記憶によってこの場所を選び、テント場として選んでくれていたようだった。

この時点で我々の他に登山者はいなかった(※のちに数時間後に二人組の登山者パーティが上がってきたようだった)。

テントの中に入り込むと、もう二度と外へ出る気がしなかった。

シェルパ族の3人は、相変わらず元気そうだった。

日本の食料は神

テントの中では、ふと日本から持ってきていた行動食の「レモングミ」と「塩昆布」と「男梅」を思い出して、つまんでみた。

そしたら、激烈に美味かった

胃袋に染み渡った。

これか。

こういうことか、と。

私は思った。

これまでにネットや本から、情報として「標高高い場所では食べ物を胃が受け付けないので、日本食や日本の味を重宝する」ということは知っていた。

そう、情報としては知っていた。

けれど、実際自分がこうした高所にやってきて、意識することはなぜかできなかった。

それが、たまたま無意識に手にとってみて、「あ!これうま!」となり、これなら食べられるやん!となり、日本食の偉大さに気づいたのだった。

ただ、身体と内臓があまりに疲れていたのと、クエン酸系の酸味が強すぎたのとで、量を食べることはできず、エネルギーの回復にはあまり貢献しなかったように思う。

そのうち日没となり、外は真っ暗になった。

ここでもゴンブーはせっせと夕食を作って持ってきてくれた。

さすがにこってり油まみれの料理ではなく、スープとおかゆを持ってきてくれた。

しかしこれもまた、量が多かったのか最後まで食べきれなかった。

そして、カトマンズ で購入していた高山病予防薬「ダイアモックス」を、半錠割って飲んだ。

10粒セットで持っており、ここまで高山病の症状が強く出ていたにもかかわらず、服用を常用すると効果が切れた際の副作用で相当苦しむとの事前情報があり、それを信じてしまった故に、これまで全く服用せず、奥の手として保存していた。

しかし登頂前日ということで、ついに初めて利用した。

17時には寝袋にくるまって就寝体制に入った。

厳冬期用ダウンの寝袋にはシュラフカバーをかぶせ、さらに起毛インナーシーツを寝袋の中に入れて、その中に入る。

ちなみにこの起毛インナーシーツは、スタティックというブランドの高品質なもので、後輩に借りて持ってきたのだが、これがあると体感として凄く暖かく感じられ、非常に良かった。

寝袋単体だと、場合によっては氷点下20度以下まで下がる状況では寒すぎて眠れないだろうが、シュラフカバーやインナーシーツと組み合わせれば、保温性はなんとかなると思う。

勿論下に敷くマットも地面からの冷気遮断において大切だ。今回はダワにエアマットを借りており、その下にウレタンマットを敷いて二重にしている。

明日はいよいよチュルーウエストの頂上アタックである。

ダワには「明日は1時起き、2時出発だ」と言われていた。

16年前に行ったモンブラン登山とほぼ同じスケジュールである。

真夜中に起き、準備して、真夜中のうちに登山開始する。

ピーボトルの合理性

ちなみにこの場所では、水を得るには雪を溶かすしかない。

私は標高4800mのベースキャンプにてあらかじめ2リットルの濾過した真水を、ペットボトル2本分合計2リットルを持って上がっていたのであるが、うち1本は飲用として消費してしまい、夜中のうちにもう1本は完全に凍りついてしまった。

高所ではどんどん身体から水分が抜けていってしまうので、ハイペースで水を飲んだ。

そしてすぐに小用を足したくなった。

そのたびにいちいちテントの外に出て用を足すのは非常に面倒だということは、事前に十分に予想ができていたので、「ピーボトル」なるものを用意していた。

ピーボトル(おしっこボトル)は、ナルゲンボトルの1ℓを用意していた。

これまで全く使うことがなかったのに、ザックの容積のある部分を支配していたそいつの出番が、ここ標高5500mに来てついに登場した。

本来なら飲用ボトルとして使用されるべきナルゲンボトルを「排尿用ボトル」としてしか使わないことに心理的抵抗をかなり強く覚えていたが、ついにそれを実行してしまった。

そしたら、口の大きなナルゲンボトルへの「テント内での排尿行為」が思いの外快適であることに気づいて少し嬉しくなった。

外に漏れ出さずにうまくできるのかが不安だったが、全く問題はなかった。

そのことがわかると、クソ寒い外へ出て行って、小用を足すなんてことが馬鹿馬鹿しくなる。

そして、思っている以上に、一回あたりの排尿量が多かったことに驚いた。

一回あたり、400mlほどの量が出た。

2回でほぼ満タンになった。

おしっこは1時間半おきくらいに出た。

つまり、単純計算で6時間で1.6リットルほどの量を排尿したことになる

私は自分で濾過した2リットルの水のほかには、ダワが与えてくれた保温水筒のお湯を持っていたが、飲む量以上に排泄量は多かったと思う。

しかし、とにかく空気が薄くて気温も(氷点下10度くらい?)相当に寒く、横になっていてもウトウトするのがやっとで、尿も近いのでほぼほぼ眠れなかった。

この時ぼんやり考えていたのが、

「いい加減下山して、空気の濃い(標高の低い)場所にいきたい」ということと、日本のさまざまなこと(仕事とか仲間とか家族のこと)だった。

高所に来て3泊目のキャンプだったが、1日がすごく長く感じていた。

高山病で常に身体は重くて苦しく、頭痛と吐き気に見舞われ続けてご飯もまともに喉を通らず、疲労は限界に近かった。

こういう状況では一日がものすごく長く感じる。

そして明日はさらに高みを目指し、これまで以上に体力を消耗することが確定しているのだ。

頂上に行けるのかどうかはもはやどうでもよかった。とにかく無事に下山することができれば。

明日下山できるのか?

それとも明後日になるのか?

それはまだこの時点ではわからなかった。

でも少なくとも、4000mより下に降りれるのは、ギブアップをしない限りはまだ先の話だった。

4200mのレダーまで降りて、身体がいくぶん楽になるのなら、せめてレダーまでは降りたい。

そんなことばかりを考えていた。

思考が後ろ向きになり続けるくらいには身体が相当に苦しかった。

でもここまで来たからには、登頂したい。

登頂を諦めるなんて、考えられない。

勿論そういう気持ちもあったが、自分でも驚くほどにそのこだわりは少なかった。

そのことがまた、登山家にはなりきれない自分への歯痒さにもなり、心情は複雑であった。

ちなみに、ダイアモックスの効果は正直ほとんどわからなかった。

横になっている間、ピーボトルへの排尿回数と量が多かったのは、ダイアモックスの副作用のせいだった可能性はあったが、頭の重さや吐き気などの部分では、あまり効果が感じられなかったように思う。

結局少しウトウトしただけで、シュラフの中で寝返りばかり打っているうちに、起床時間の1時はやってきてしまったのだった。