朝6時半起床、7時朝食。
トーストとホットチョコレート。
特にホットチョコレートは久々の甘い味わいで美味しかった。
帰路の航空券の日程変更の件で、スマホからマイページにログインできないというエラーの問題が相変わらず解決しない。。
もし航空券が変更できたとしても、ポカラからのバスチケットや、マウンテンフライトの日程もエージェントのスマン氏に連絡して変更してもらわないといけない。
それらの時間的余裕がなくなってくる。予定では、ポカラに到着するのは明日の夕方である。
出発
7時40分頃出発。この日の目的地はゴレパニ峠。
標高2800mにある、アンナプルナとダウラギリの展望台で有名だ。
タトパニは標高1200mの谷底にあるので、標高差1600mを登ってゆくことになる。
しかも距離もあり、歩行時間は約8時間ということだ。
ここから、山間部への道に入ってゆくが、どこから山に入るのかは、ガイドがいないと少し迷ってしまうかもしれない。
後ろを振り返ると、高曇りの中、ニルギリ南峰が大きく聳えている。
長めの吊り橋を渡り、続け様に短めの吊り橋を渡り、そこから少し登ると、チェックポストがあった。
そこでダワがまた手続き。
私とゴンブーだけ、先に歩く。
ゴンブーに付いていっても目的地にはたどり着くだろうけれど、何かあった時の細かい意思疎通に不安がある。
経験値やコミュニケーション力で言っても、やはりダワと一緒にいるほうが安心感はある。
逆に言うと、
ダワを置いてどんどんふたりで先に行ってしまうと、道中の細かい分岐やルート取りがやや複雑な感じのこの山域では、長時間はぐれっぱなしになりそうである。
しばらく歩いてから、適度に疲れたタイミングで茶屋的なスポットが。
そこで少し休んでいると、ダワが無事追いついてきた。
良かった。。(ホッ
日本の里山を思わせるヒマラヤ低山域
それにしても、
この標高1200m〜1500mくらいの低山域の緑の濃い里山を歩いていると、なんだか日本の山みたいで落ち着く。
しっかり山の中を歩くのだが、要所要所で集落があるし、そこで暮らしている地元の人々も見かける。
そして家畜の羊・ニワトリ・牛がその辺にたくさんほっつき歩いている。
ニワトリや、特に七面鳥などは、近年の日本では田舎に行っても中々目にすることは少ない。
昔の日本の春の田舎を彷彿とさせる。
なんだか懐かしいような気持ちになる。
延々と、緑の濃い緩やかな石段の道を歩くトレッキングルート。
棚田があり、森林があり、農村が点在する。
山全体に暖かい感じがあり、紀伊半島の山のようだ。
振り返るに数日前までは、主に高山帯を歩いてきた。
スイスのような、長い年月をかけて氷河が侵食して形成した深いV字谷。
その両脇に聳え立つ白き巨大な峰々。
標高を上げると徐々に木々はなくなり、草と岩山が広がるヤクが放牧されている牧草地帯。
ピークアタックの日は、低酸素で極寒の中、クレバスが口を開けている雪のリッジを、フル装備を身につけ、重い足取りで、アイゼンを履いて、踏み締める。
かと思えば、
ひとたび峠を越えると、中東の砂漠のような、乾燥した広大な大地が広がる。
そんな光景だったはずが、
さらに標高を下げて、谷を下流へと下ると、まるで日本の田舎の山のような懐かしさが残る、みずみずしく緑の濃い山々。
この短期間で、徒歩とバスで移動できる範囲で、こんなに自然や山岳風景の多様性に富んだエリアは他にあるのだろうか?
アンナプルナ山域にきて、本当によかった。。
魔女との遭遇
道は、時に登山道、時に石畳や舗装路、生活道路や林道など、山腹に点在する村を横断しながら、そこに暮らす地元の人々に挨拶したりしながら、少しずつ標高を上げてゆく。
というと、牧歌的な感じだが、、地元に暮らす子供たちは、我々を見ると「マニー!(金くれ)」とたかってくるw
何もあげないのも少し悪い気がするので、手持ちの行動食で食べていた乾燥梅干し「男梅」を分けてあげたりした。
子供たちは「センキュー…」といいつつ、少し微妙な表情をしていた。笑
また、道中の道端で目があった老婆と少年の二人組がいたのだが、少年は気さくに挨拶だけしてくれたものの、老婆が少し異様な雰囲気をまとっていた。
身長が異常に低く、100cmくらいしかない。
紫色の衣装をまとい、目が飛び出しそうに大きなギョロ目で、まるで魔女のようないでたち。。
すこしゾクっとしたので、そのまま通り過ぎようとしたら、しばらくして後ろから奇声を上げながら走って追いかけてきた!(しかも裸足で)
何なに??!
まずガイドのダワにまとわりついてきて、手に複数の小さな檸檬を持ってそれを差し出しながら何やら喚いている。
ダワは普通に無視して歩く。
次に私のところにやってきて、顔の前に檸檬を突き出してジャンプしながら何やら喚き出す。
うおっ、怖っ!
「ノー、ノー!ノーセンキュー!」と断って逃げる。
檸檬を売りつけようとしたのだろう。
トレッカーを見つけては、こうした行動を繰り返しているのかも。
それにしてもビビった。。
シーカ〜ゴレパニ
途中、シーカというところで昼食。
夫婦で経営しているちょっとしたレストランに入り、そしてダルバート笑
一から手作りで料理してくれたため、少し時間がかかっていたけど、おばちゃんの手料理を食べてる感じで暖かみがあった。そして、普通に美味しかった。
食べ終わって、トイレに行って、また歩き出す。
標高2000mを超えても、まだ日本の低山の里山のような風景が続く。
急な登りなどはなく、
集落、山林、集落、と、山肌を縫うように
延々と繋いでゆく。
ふと振り返ると、高曇りの空にダウラギリI峰が浮かんでいる。
写真で何度も見たことある角度のダウラギリI峰。
日本の田舎のような風景の中に、いきなり雪山が浮かんでいるような感じ。。
野犬がしばらくの間後ろをついてきていたが、いつのまにやらどこかへ行ってしまった。
アンナプルナ方面の山が殆ど見えてこなかったが、
終盤の登りで上空の雲が徐々にとれてゆき、
アンナプルナサウスの鋭峰が、雲間から少しずつ姿を見せるようになってきた。
そして、16時。
長かった道のりを経て、ようやくゴレパニ峠の集落に到着した。
予定通り、8時間ほど里山を歩いてきた。
まだ深い広葉樹林に囲まれているが、ここは標高2850mだ。
青い建物が多い。
宿にチェックインして、しばしティータイムにて休憩。
めちゃくちゃ展望のよい場所にある宿であった。
夕方にかけて雲がさらに取れてゆき、
北西にダウラギリ、
北にニルギリサウス(南峰)、
北東にアンナプルナⅠ峰とアンナプルナサウス(南峰)。
世界最高クラスの高峰がぐるりと取り囲む。
贅沢極まりないロケーションに興奮。。
日没近くになると、アンナプルナ連峰が赤く染まり、次第にピンク色に移ろい、
陽が沈むとみるみる黄色く、そして白く変化する。
徐々に夜の帳が降りてゆく。。
私はその様子を飽きることなく眺め続けた。
ダワとゴンブーは、
ずっと暖炉の前で眠ったりスマホを触ったりしていて、景色には全く興味なし。
まあ現地民だから当然か。。
夕飯は、ピザとロキシー。
ピザはボリュームがあったが、チーズたっぷりで美味しくいただく。
野菜が食べたい。。
思わぬトラブルが発生
食後に、最後のミーティング。
ここでダワからとんでもない発言が飛び出した。
「明日のポカラでいよいよお別れだけれど、ポカラから先は荷物は全て自分で持って帰ってくれ」
はい????
ちょっ…待ってくれ。
そこの部分は、スマン氏とのメールのやりとりでは、ガイドとポーターがカトマンズのホテルまで運搬してくれるという話になっていたはずだった。
英語で必死に伝えるが、ダワはニコニコしながらも頑として受け入れようとしない。
「それは自分で運んでくれ。我々は運ばない」
私はスマン氏とのメールのやりとりをスマホで見せて、説得しようとした。
メールの該当部分は数ヶ月前のやりとりだったので、テンパって探し出すのに苦労したが、見つけられた。
それをダワに読んでもらう。
すると、ダワは一応目を細めながら、自分のメシを食べながら、熱心に私が見せるスマホのメールを読もうとしてくれていた。
「たしかにスマン氏がそう書いているな。。」と理解してくれたようだ。
おそらく今日これまでのダワとゴンブーの認識では、ポカラでお別れする場合は、全ての荷物を私に返すつもりでいたのだろう。
そして何かしらの情報伝達不具合で、スマン氏からはそのようにしろとは聞いていなかった。
今回の計画では、ポカラ到着後から先のスケジュールは、私の希望によって独自にアレンジしてもらったもので、イレギュラーな計画だった。
そして今いるゴレパニ峠経由のトレッキングも、ネパールに来てから急遽、さらなるアレンジで突然付け加わったプラン。
なので、細かい情報の齟齬で、お互いの認識に誤解が生じている可能性は大いにある。
ましてや、私などは英語すらもままならない。
結局、ダワはしばらく考えたような様子をみせた末に、
「じゃあ、荷物は手荷物の半分だけ、カトマンズのエージェント事務所まで持っていくわ。でも、100リットルのザックのほうは自分で持って帰ってくれ。それでいいか?」
と言ってきた。
私は、それで良いよと言った。
そもそもでかい荷物ふたつは運搬には無理があるが、ザックひとつであれば、やや大変ではあるが決して不可能じゃない。
とりあえず、この件はなんとかなりそうな落とし所に落ち着いて、一件落着。。
それにしても、焦った。
明日は、プーンヒルという、標高3200mの丘に上がり、そこからご来光を見るプランなので、また夜明け前に起きねばならない。
すぐに部屋に戻り、速やかに就寝することにする。