息子にとっての母親とは【無限の愛に、ただ感謝】

まとめ

 

こんにちは、トミーです。

当ブログは、基本的には山とクライミングに特化した内容でお届けしていますが、

たまには全く関係のない内容のコラムだとかもアップしていきたいと思っています。

 

今回は、僕と母親との関係について、

いくつかの出来事とともにかいつまんで書いてみたいと思います。

 

ちょっとマザコンとかキモイと思われそうですが、、

事実と本心なので、すいませんが書きます。




息子にとっての母親とは【無限の愛に、ただ感謝】

 

母親は、一言でいえば、とてもとても愛情深く、そして優しい人でした。

どうしてそこまでして、僕のことを大切にしてくれるんだろう?と、子供の頃から何度も何度も思いました。

無償の愛情を惜しみなく注いでくれる母のことが、僕は実は大好きでした。

 

赤ん坊の頃、僕は母の腕のなかに抱かれながら、

満面の笑みを向けてくれる母の顔を心から安心して眺めていたのを覚えている。

母の背中に這い上がって抱きつき、豊富な髪の中に顔をうずめて、安心して眠っていた。

 

それゆえに、小さい頃は、母から少しでも引き離されるようなことがあると、不安と恐怖で泣きわめいた。

母が常に近くにいる家の中は、完全に安心できる場所で、そこから一人で離れて見知らぬ世界に出てゆくのを怖がった。

 

 

特に、幼稚園入園式の日のことはよく覚えている。

幼稚園の女の先生が、僕を母の元から引き離し、教室に引っ張っていこうとすると、

僕はとにかく全力で抵抗し、泣きわめいた。

 

人生で初めて家以外の「社会」に押し出される瞬間。

自分にこれからどんな試練が待っているのかがまったくわからず、とにかく寂しさと恐怖しかなかった。

 

 

「ぜんそく」で身体が弱い子供だった僕に、いつも寄り添って面倒をみてくれた母

 

僕は5歳頃に肺炎で入院したことがあり、それ以降に小児ぜんそくをわずらっていた。

 

ぜんそくの発作は、とても苦しかった。

それは、6歳~12歳頃

そう、小学校6年間もの間・・・ずっと続いた。ほとんど、毎日だ。

 

 

毎晩毎晩、夜に眠ろうとする時間帯。

喉の奥から肺にかけて、痰のようなものが絡みつき、

気道が塞がってまともに呼吸ができなくなった。

 

 

「ヒューヒュー、ゼーゼー」という音が胸の奥から鳴りつづけ、

痰を吐き出そうとして、咳も止まらない。

仰向けに寝ていると肺が圧迫される感じがあったので、

うつぶせに寝る癖がついていた。

そうすることで、呼吸が少しでも楽になっていたから。

 

しかし、時折激しく起こる発作のたびに、がばっと上半身だけ持ち上げて、

懸命に気道を確保して呼吸をしようとせねばならなかった。

 

毎晩夜中に1~2時間、苦しい発作に見舞われて、

なかなか眠ることができない僕に、母は優しく寄り添った。

 

汗でびしょびしょになった背中を、パジャマをまくってタオルで丁寧に拭いてくれながら、

発作の症状が治まるまで背中を辛抱強くさすってくれて、薬と水を飲ませてくれていた。

 

薬が効きはじめ、いつしか呼吸が楽になり、まどろんで眠りに落ちるその瞬間まで。

そう、これが毎晩のことだったのだ。

 

 

日中はパートに出かけ、帰宅後には夕飯の準備と片付け、掃除洗濯に風呂沸かし。

弟の面倒も見ながらだから、それは大変なことだったろう。

なのに、僕のぜんそくに関して、愚痴めいたことを母の口からはたった一言も聞いたことがない

 

もちろん、僕の面倒を見るのは大変なことであったろうし、心の中で色々思うことはものすごくあったはずだ。

しかし、それを口に出すようなことは一切しなかった。

 

とにかく、我慢強い母。

現在、その当時の母くらいの年齢になってみて

今あらためて思い出してみると、すごいな、と思う。

 

そして、本当に愛されていたんだな・・・と思い、感謝が止まらない。

 

 

弟だけをかわいがり、嫉妬と寂しさをあらわにした日

 

 

冬のある日。

 

詳しいことはあまり覚えていないが、母が弟と楽しそうに遊んでいたときがあった。

僕は、どういうわけかうまくその輪に加わることができず、

また僕の話しかけが無視されていたように感じていた。

 

 

いつしか僕はその場を離れ、こたつ布団の中でふて寝をしていた。

そのうち本気で眠っていたら、母がやってきて

「そんなとこで寝てたら風邪ひくで!布団で寝なさい」と言った。

 

 

僕は、昼間に感じた弟への嫉妬と、自分が放置された寂しさを、

喉元から振り絞るようにして訴えた。

 

「・・・どうせ僕なんて、いなくなってもいいんだ」

 

たぶん、そのようなことを口にしたのは、初めてのことだった。

母は驚いていた。

 

そして、

「そんなことないよ。あなたはおかあさんにとって、かけがえのないこの世で一番大切な存在なんだから。だから、そんなこと言わないで。おかあさんも悲しくなってきちゃう。あなたがいなくなったら、おかあさんも生きている意味がなくなっちゃう」

 

と言ったあと、涙を流しながら僕のことを抱きしめてくれた。

僕は母の腕の中で、安心につつまれ、泣いた。

 

 

13歳の誕生日に、母が買ってきてくれたケーキ

 

うちでは、僕も弟も、誕生日には家族4人が集まり、ケーキとお菓子でお祝いをしてもらっていた。

中学1年生になっていた。

 

13歳の誕生日、母はいつものように誕生日ケーキを買ってきてくれた。

母が、買い物袋のこすれる音をワシャワシャと立てながら玄関の扉を開けて帰ってくると、

部屋にいた僕はダッシュで玄関まで駆け寄った。

 

ケーキだ!やった!

 

嬉しくて、僕は自分のケーキだけをダイニングへ持ち運んだ。

箱の中を早くみたい。開けるのが楽しみだ!

そんなウキウキした心持ちだった。

 

 

そこで事件が起こる。

 

 

ダイニングテーブルの上に置いたケーキボックスに、何かの拍子で僕の腕があたり、

ケーキボックスごと地面に墜落させてしまったのだ。

 

 

箱の中のケーキは、見るも無残で、

原型を留めないレベルでぐちゃぐちゃに崩れ落ちていた。

 

 

僕は、せっかく母が買ってきてくれたケーキを、

いきなり自分で破壊してしまったのである。

 

その瞬間、呆然としていた。

 

 

母は、それを見て、

「まぁ・・・」と呆れていた。

 

それだけのリアクションで、別に僕の失態を咎めたり、怒ったりするようなことはなかった。

残念ではあるが、しょうがないわね・・・くらいの感じだった。

 

 

その日、僕は残念なふうになりつつも、そんなに態度や表情には出さなかった。

ケーキだけが無い誕生会を祝ってもらっていた。

 

 

しかし、僕はあまりにも自分が犯したミスが不甲斐無くて、

そして、ケーキの姿すらも拝めず、食べることもできなかったこと以上に、

せっかく僕の誕生日を祝ってくれようとしてくれてケーキを買ってくれた母に対する申し訳なさが堪らなくて、

 

夜寝るとき、布団の中で涙を流して声を圧し殺しながら、ひとりで泣いていた。

 

 

大学の卒業式

 

卒業式の日、僕は大学の友人や後輩達との交流で忙しかった。

母には「いそがしくて構っていられんから、見に来なくていいよ」と事前に言っていた。

 

というか、母と一緒にいる自分の姿を、友人達に見られることを恐れていた。

 

今思えば、そういう「親を友人に見られるのが恥ずかしい」的な感覚なんてものは、

高校生くらいで卒業だろ・・・とも思うのだが、

当時はまだそういう感覚が残っていたのだと思う。

 

母は「卒業式は見に行く!」と言って聞かなかった。

僕は「来るのなら、勝手にしろ。俺は、現地では相手できんからな」と言った。

 

卒業式が終わり、大学の正門近くで母の姿をみかけた。

本当に母は、来てくれていた。

 

しかし、僕は案の定忙しくて、母の相手は全くできなかった。

その態度は、無視したに等しいそっけないものだった。

 

わざわざ息子卒業の晴れ姿を、時間を作って見に来てくれたにもかかわらず、

母は息子である僕の姿を一瞬確認しただけ。

 

僕は、この日のことをちょっと後悔している。

せめて僕と一緒の写真を撮ってあげたら、よかったと。

 

就職で地元を離れ、親元を去る瞬間

 

紆余曲折あったのち、上京し、就職することになった。

24年をともに過ごした家族、あの家、そして僕に惜しみない愛情を注いでくれた母との別れ。

 

自分の新居を契約したときも、引き渡しの当日も、母はついてきてくれていた。

きっと僕が家から居なくなることが寂しくてしょうがなかったのだろう。

あきらかに子離れができていなかった母。

僕も精神的には親離れができていなかったと思う。

だから僕もひとりで見知らぬ土地で働きながら生活してゆくことに対して、一抹の不安と寂しい気持ちがあった。

 

「元気でね」

 

いよいよ母が地元に帰ってゆくとき、駅の改札を通過した母がこちらを振り返ったときに涙をぬぐったのが見えた

こみ上げてくるものがあったにちがいない。

 

母が見えなくなるまで改札の外で見送ったあと、僕はひとりでとぼとぼと自宅に帰った。

 

帰ったあと、ものすごい寂しさが押し寄せてきて、泣いた。

もういい大人なのに、男なのに、泣いた。

おかあさん、今まで本当に、本当に、ありがとう。

 

僕は、これから社会人として、がんばります。

 

 

40歳を越えてなお、母のことを想う

 

昔は実年齢よりもかなり若く見られていた母も、

現在では大分歳を取ってしまいましたが、まだまだ元気に暮らしています。

最近では、ハワイとか、海外旅行にも出かけるほどにアクティブです。

 

僕も少しずつ歳をとり、色々と経験を重ねてゆくにつれ、

その関係性や親子の情のカタチも、ちょっとづつ変わってきたように思います。

 

もう昔のあの日々のようには戻れない。

でも、確実に自分の心の中では想い出が生きている。

 

母のことは、いまだによく想うし、感謝もしています。

いったいどれほど感謝したら恩を返せるのか。

 

いや、きっと返しきれないのでしょう。

 

どうか母が生きているうちに、僕が考える最高のカタチで恩返しをしたい。

 

だから、それまでは、どうか元気で平和で楽しく暮らしていることを、心から願っています。