理想的な日々
この日も朝から快晴。6時半起床、7時朝食。
朝から朝食がボリューミー。
というか、注文していないはずの油ギッシュなフライドポテト(?)が大量に出てきて、こいつを平らげるのに超絶苦労する。
てかこんなん、まじで頼んだ覚えがないのだが。。
どういう手違いかはわからんが、
ネパールではちょいちょい頼んでないもんが出されている気がする。
30分かけて無理やり胃袋にかき込んでから、8時前に出発。
草が凍りつき霜が張っていたので、夜は結構冷え込んだようだ。
今日も天気は快晴。
アンナプルナⅡ峰が大きく白く輝き、素晴らしい。
足取りは軽く、テンションが上がる。
左前方には切り立った茶色い岩壁が見える。
多分高度差1400mくらいの壁。
これも国内にあったら、人気の岩場になりそう。
これまでの道もそうだったが、
「この壁が国内にあったら、楽しそう」と思うような良質で巨大な壁が、視界の左にも右にも沢山あった。
しかしネパールのこういった奥地の場所にあると、中々登られることもない。
それよりも、
白銀の峰々に、
より高い峰々に、
目を奪われてしまうから。
仮にここで新しいルートを開拓したとしても、
誰も登りには来てくれないだろうし、
いくら良質なルートでも、
立地条件で勿体ないことになってしまうだろう。
そんなことを考えるのもまた楽しい。
ずっと歩いていたい。
毎日がずっとこういう日々だったら良いのに。
それが理想的な日々だ。
いや、今目の前がまさにそれだ。
今はただ、この瞬間を楽しもう。
そんなことを意識しなくても、
既に夢が実現している今この瞬間が最高だ。
そしてこの後に展開する景色、
出会うであろう雄大な自然に、
期待の心が躍る。
トレイルは北方面に曲がり、
次第に急な登りに差し掛かった。
左前方の上のほうの山の斜面の中腹あたりに道がつけられているのが見える。
道があるなーとは思っていたが、その後自分達が歩くことになる道とは思わなかった。
この日はマナンという標高3500mの村まで行く予定で、距離こそあれど標高差は200m程度しかない。
だから結構ラクなはずだと思い込んでいて、道も山を大して登ることなく、
谷底をそのまま歩いてゆくものだと当然思っていたわけなんだけれど、
ここから北側にある急な山の斜面をジグザグとわりとガチに登ってゆく。
しかもザレ気味で、結構歩きにくい。。
すでに3000mを超えている場所なので、すぐに息が切れる。
富士山に当てはめると、8〜9合目付近を登っているのと同じことになる。
このまま標高差で500mくらいは登った。
登った先にあったのが、最初の休憩ポイントであるギャルーの集落であった。
ヒマラヤの穴場展望台ギャルー
ギャルーは非常に展望の良い高台にあって、
トレッカーはみんなここで思い思いに写真を撮りあっている。
それにしても、日本人は見かけない。
眼下にマルシャンディ川が蛇行する壮大なV字谷を見下ろし、対面には巨大なアンナプルナⅡ峰。
そして、右のほうにはアンナプルナⅢ峰とガンガプルナ、さらにその向こうにはティリチョピークまで見渡せる。
アンナプルナ山群の全容をやっとここで見渡すことができた。それにしてもとにかく巨大だ。
ここにきてヒマラヤの真骨頂を発揮する展望。
アンナプルナサーキットは世界的に知られているトレッキングの聖地だとは思うが、日本人で訪れている人は特に近年はそんなに多くないのかもしれない。
だが、実際に訪れてみて、これ世界一美しい渓谷じゃないか?と思う。
その圧倒的な標高差。
谷底からアンナプルナ山群の山頂付近までは、約4000〜5000mほどもある。
しかも、麓からダイレクトに山塊が聳え立っている。
迫力が凄すぎて、度肝を抜かれる。
ヨーロッパアルプスをはじめて見た時も凄かったが、あちらは麓からの標高差で約3000m弱くらい。
やはりヨーロッパアルプスよりもヒマラヤは巨大だ。
ギャルーには茶屋もあったが、まだここでは補給せず、先に進む。
昔ながらの石造りの建造物群が歴史的な重みを醸し出す。
南米ペルーのインカ帝国の遺跡のようなイメージの村である。
後ろを振り返ると、巨大なアンナプルナⅡ峰。
素晴らしく味のある光景だ。
世界遺産でも申し分ないレベルだと思う。
砂塵のトレイル
ここからは、山の中腹を縫うように歩みを進める快適なトレイル。
渓谷を見下ろし、対岸のヒマラヤを眺めながら
ずんずん歩く、歩く。
ダワは基本的にスマホから
ネパール音楽を流して歩いている。
ネパールを、ヒマラヤを、
全身で感じて歩く。最高に幸せだ。
トレイルは比較的平坦で、どちらかといえば下り道になるので快調に飛ばせる。
ずっとこの時間が続けば良いと思った。
進行方向正面右手の奥に、雪を抱く岩山がみえる。
ダワは「あれがチュルーイーストだ」と言った。
いよいよ近づいてきたチュルー山群。
チュルーイーストには、以前に単独の日本人女性をガイドしたことがあるらしい。
18日間の行程で、その方は無事登頂もしたようである。
自分も頑張って登頂したい。
チュルーイースト方面の山肌は、木がまばらにしか生えておらず、乾燥して埃っぽい砂岩で構成されている。
トレイルは幅もあって非常に歩きやすいのだが、砂埃がすごく足元は砂まみれになる。
風が吹くと砂埃が舞う。
なので、スカーフやマスクは必須。
ポーターのゴンブーは
私の全荷物を担ぎ、自分の荷物もあるのに
歩くペースが速く、遠く前方を歩いているのが見える。
私たち三人は、常に固まって歩くのではなく、主にゴンブーだけが先行して歩くことが多い。
少なくともあの量の荷物であれば担ぐことは全く苦ではない様子で、彼の元気な人柄もあり、大体快調に飛ばしていた。
先に目的地の宿について、受付を済ませてくれる役割もあるようだ。
砂砂の道を、頭を空っぽにして歩いていたら、突然日本でのことを思い出した。
私は会社を辞めていまここに来ていた。
社長に「ヒマラヤの山に登るのなら、会社を退職して行ってください」と言われたことを急に思い出した。
本来退職奨励というと会社都合退職となるはずなのに、自己都合退職で退職届を出すように言われた。
おかしいと思ったが、そんなことで悶々としていては気分良く山旅の準備などは到底出来なかった。
そして46歳無職である今現在、
帰国して復職することはできるという話であるものの、本当にそれは信じてもいいのであろうか?
逆に、今は無職で自由の身でもあるわけで、
11月下旬に帰国しなければならない理由は社会的にはどこにもない。
こんなに素晴らしい大自然に囲まれた日々をなるべく長く過ごすために、帰国日を遅らせられるのなら遅らせたい。
幸い航空券がネパール航空のものであり、正規割引航空券なので、理論上帰国日を遅らせることは可能だ。
復職前提の話を社長としていて、帰国予定日は聞かれてしまっているので、11月20日には帰国していないとマズいのかもしれない。
でも長旅で体調を崩したことにしておいて、帰国日を延長させることもやりようによっては可能?かもしれなかった。
でも。。
そんなことを悶々と考えていたら、久々に少し気が滅入った。
そして我に返った。
今世界一山岳の景色が物凄い場所にいるというのに、一体何を考えているんだと。
勿体ないぞこの時間。
今は忘れて存分に楽しめ。
気を取り直し、歩く歩く。
途中、トイレ休憩を挟む。
一軒だけお店の建物がある。
トイレ小屋がその隣にあるが、入ろうとしたら鍵で締め切られている。
表に小屋の主人と思しきおじさんが座って休んでいた。
「トイレは空いてないんですか?」と聞くと、
「あー、その辺の茂みでやっちゃってくれ」
との回答w
いや私は全然いいけど。。
女性はこういう時に大変だろうな、と思いつつ
野ションする。
ダワがスマホに向かって何やらがなり立てている。
どうしたのか?
あとで聞くと、本日向かう予定のマナンの村はトレッカーで激混みで宿がとれず、マナンの手前にある「ブラガ」の集落で宿を手配せざるを得なかった的な話をした。
そうなのかと思った。
この時点では、ブラガという名前が認識できず、マナンの手前のなんとかとかいう集落という認識だった。
ブラガの集落
宿についたのは15時すぎ。
約7時間の行程だった。
この時点で太陽は雲に隠れがちになっており、結構肌寒い。。
急遽変更された宿であった「ホテルブッダ」というゲストハウスは、想像よりも綺麗で広くて良かった。
しかも部屋内にトイレもついている。
宿に着くと、夕飯の時間までは暇なので、例によって外をぶらぶらする。
しかしこの集落には殆ど何もなかった。
端から端まで1分半ほどで歩けてしまうほど。
宿と店は数件しかない。
寒いし曇って山もあまり見えなくなってきていたので、宿に戻る。
夕飯の時間近くになってくると、食堂にある暖炉で温まりたくなってくる。
暖炉に近づくと、すでにダワとゴンブーがそこにいて、「どうぞどうぞ、ここで温まろう」と迎えてくれる。そこでお喋りなどをする。
勿論言葉はお互い詳しくは通じないのだけど、簡単な会話だったら何となくわかりあえる。そんな時間はやはり楽しかった。
そしてその場所に、ひとりの若い白人女性がいた。
大きな水筒から白湯を注いで、ずっとそれを飲んでいた。
同じ場所にいるが単独の様子だったので、話しかけてみた。
リトアニア人だそうで、
今回はアンナプルナサーキットのトレッキングが目的だが、あんまり高所に行くのは怖いらしく、体調の様子をみながら慎重に歩みを進めているらしい。
私たちは、明日に高所順応でアイスレイクに行く予定となっている。
そして彼女も明日、アイスレイクへ行くと言っていた。
でも高度があるので体力等自信がないとのこと。
ぜひ一緒に行こう!
とは何故かならなかったw(まあこちらはガイドパーティなので)が、途中の道で会うかもしれないねーという雰囲気の話になった。
ちなみに、リトアニア人の彼女からすると、
日本や韓国は物価が高くて、旅行先としては気が引けると言っていた。
今は超円安なので日本お得だよ!と言っておいたw
夕飯は、ダルバート。
テレビがついていたので、なんとなく観ながら食べる。
客がほぼ私と、リトアニア人の女性だけで、静かな空間の中で黙々と食べる。
まるで自宅で飯食ってるような感覚ですらあった。
食べたら就寝。
その日の夜中、揺れで目が覚めた。
寝ぼけていてよく理解できなかったが、
どうも地震があったようだ。
そこそこ長い揺れで、大きな地震がどこかで起きているようだった。
(後日、ネパール西部のジャージャルコットでマグニチュード6クラスの地震があり、死傷者が多数出たことを知った)