【11/05 Day09】マナンーレダー

ポーターの役割

朝7時起床、7時半朝食。

朝食は、トゥクパと卵焼き。

これまでの朝食の量とか内容が、中々きついものがあったので、今回はソフトなものに。

玉子焼きとトゥクパ(チベット麺)。あっさり目の味わい

玉子焼きとトゥクパ(チベット麺)。あっさり目の味わい

8時40分出発。

本日も天気は良い。

ポーターのゴンブーがパッキングをする様子をみる。

荷造りをするポーターのゴンブー

荷造りをするポーターのゴンブー

ここマナンからは、ヴィシュヌがジープで運んできた追加の荷物があり、私の100ℓザックに加え、さらに同等容量のダッフルバッグも担ぐことになるのだ。

合計200ℓ??

重量にすると、40キロ近くになると思われる。

これを、麻のロープに巻きつけ、「おでこ」だけで担ぎ上げるのである。

流石に最初に持ち上げる際には、少しよろけていた。

しかしバッグに巻き付けていた麻紐を少し組み直してから、次のトライではバランスが取れたようであった。

これはポーター職、大変だわ。。

宿の前の広場にて。マナンの中心部でもある

宿の前の広場にて。マナンの中心部でもある

ていうか、うーん。。

色々と考えさせられる。

ヒマラヤでの先鋭的なアルパインクライミングが、アプローチの時点も含めて具体的にどのように行われているのかは、詳しくは知らないけれど、

ガイドやポーターの助けを借りずに自分達クライマーだけの力で登山・クライミングを完結させるのであれば、

自分の荷物の重みや、快適なベースキャンプでの装備などで、ポーターがこんなにも大変な荷物を担がなくても済む。

今回のマナンの宿。石造りの大きなホテル

今回のマナンの宿。石造りの大きなホテル

しかし、一方でポーターというのは職業なわけだから、クライマーが全てを自分達だけでやれてしまうと、ビジネスが成り立たなくなってしまう。

当然ながらポーターは重荷を担ぐことを生業としているので、荷物がどれだけ重かろうと喜んで引き受ける。

逆に荷物を担ぐ需要が無くなると、ポーターの食い扶持も無くなる。

マナンの宿からみる最高に贅沢な景色

マナンの宿からみる最高に贅沢な景色

こちらの目線としては、自分達の趣味・道楽でやっている登山という自分本位の自己満足行為のために、本来自分で担ぐべき自分達の重い荷物をわざわざポーターに担がせて、彼らに可哀想な思いをさせている気持ちについついなってしまう。

でもポーターたちにとっては、「それがビジネス」なわけだから、同情などは無用なはずである。

実際彼らは、文句ひとつ言わない。なぜならそれが彼らの仕事だから。

そして朝にゴンブーと顔を合わせると、「グッモーニン!サー!!」と元気よく挨拶してくれる。

それが私にとっては嬉しい瞬間でもあった。

ゴンブーの愛想の良さに、屈託のない笑顔に救われている面もあった。

ゴンブーは小柄で頼もしい良き旅仲間

ゴンブーは小柄で頼もしい良き旅仲間

彼は英語をほとんど話せない。

でも、朝のいつもの彼の元気の良さが、私の朝の景気付けにもなっていたのは確かだった。

朝にゴンブーが笑顔で部屋にやってきて、同時に私の荷物を運び出してくれるその瞬間、言葉の壁を超えて、彼と通じ合えた気がした瞬間であった。

ポーターのゴンブーとヴィシュヌが、巨大なバッグを各々ふたつずつ担ぐ。

少し歩いてきて、高台からマナンの村を振り返る

少し歩いてきて、高台からマナンの村を振り返る

ガイドのダワは、自分の荷物全てを80ℓくらいの大型ザックで担いで歩き(しかもザックの横に私のマットを外付けしてくれている)、私は行動食と水と防寒着など最低限の荷物だけをいれた小さなデイパックを担いで歩く。

はっきり言って、日本で縦走登山をするよりも相当楽である。

少なくとも、肩に食い込むような重荷をかついでトレッキングをする必要はない。

ヒマラヤトレッキングでは、高度の影響で息切れはするけれど、ヒマラヤ7000〜8000m級の絶景を眺めながら、軽い荷物だけを持ってハイキングを楽しめるのである。

ガイドのダワ。亡くなったうちの祖父にそっくり

ガイドのダワ。亡くなったうちの祖父にそっくり

トレッキングルートは、ティリチョレイクに向かう道と、トロンラパスへ向かう道とに分かれる。

我々はトロンラパス方面への道を歩く。

進路は西方向から北方向へ。

日差しが一層きつくなる感じがする。

標高は再び4000mを超える。

今日も快晴。絶景が連続して飽きない

今日も快晴。絶景が連続して飽きない

周辺には樹木は生えておらず、背丈の低い灌木か草地となっており、もはや荒涼としたチベット的景観になっている。

そして、酸素は薄く、少し歩くだけで呼吸が苦しくなってくる。

「フー、フー、、」

酸素を取り入れることを強く意識しながら、あえてゆっくりと歩く。

こんな場所にも露天商

こんな場所にも露天商

途中、小物やお土産品を売る露天商がいたり、

紫外線で真っ黒に日焼けして、顔に深く皺が刻まれていて、歯が何本か抜けた「ザ・チベット民族のおばあちゃん」が、満面の笑みでトレッカーたちに愛想を振りまいており、欧米のトレッカーたちに取り囲まれていた。

トレッカーたちはおばあちゃんと一緒に、代わる代わる記念写真などを撮ってもらっていた。

地元のチベットおばあちゃんって、素朴で不愛想なイメージがあったけど、こんなに愛想を振りまきまくっていて、遊園地のマスコット的な扱いになっていたことに驚愕した。

私は一緒に写真を撮ってもらうような気にはどうにもなれず、その様子だけを眺めて通り過ぎた(ゆえに写真はない)。

回想(ヘリ出動と高山病になったトレッカーの噂)

そういえば、一昨日のアッパーピサンからブラガへのトレッキングの道中で、ヘリコプターが飛んで行ったのをみかけた。

のちにダワが言うには、

「レダーで1人、トロンフェディで1人、高山病になってヘリで下山した」という情報があったようだ。

ダワは時折スマホで誰かと連絡を取り合っていたが、そういう情報のやりとりもあったのだろうか。

とにかく、レダーは標高4200m、トロンフェディは標高4400mであり、行動不能になるほどの高山病にかかるトレッカーがいるという事実。

この話を聞いたとき、「まあ私は大丈夫だろう」という根拠のない自信があった。

しかし、その自信は少しぐらつき始めていた。

喫茶チュルーウエスト〜ヤクカルカ(4100m)

この日最初のコーヒータイム

この日最初のコーヒータイム

喫茶チュルーウエストという場所にてティータイム。

ここからはアンナプルナⅢ峰、ガンガプルナ、アンナプルナⅡ峰、Ⅳ峰が俯瞰的かつ巨大に眺められて素晴らしい。

アンナプルナ方面の眺めが素晴らしい

アンナプルナ方面の眺めが素晴らしい

干してあるのは杏子?

干してあるのは杏子?

喫茶店の中では、杏子?のようなものが干されていた。

ここでは私とダワが先行していて、ポーターのゴンブーとヴィシュヌは大分遅れをとっていた。勿論それは担いでいる荷物量が半端ないからに他ならない。

40分くらい待ったのち、ふたりは我々に追いついたが、さすがに汗だくになっており大変そうだ。。

馬の隊列を頻繁にみる

馬の隊列を頻繁にみる

ここから先、さらに荒涼とした景色の中歩いてゆく。

日本では中々見られない雰囲気になってくる。

そんな中にも一本の電線と電柱が、延々と向こうのほうまで伸びている。

荒涼とした風景に1本の電線

荒涼とした風景に1本の電線

これが唯一のインフラ・ライフラインでもあるのだろう。

とはいえ、この4000m以上にもなる高山エリアにも電気が供給されているのは凄いことだと思う。

山の中腹を縫うようにぐねぐねした道を歩いていると、正面の谷の奥に見栄えがする大きな岩壁を備えた山塊が姿を現した。

ついに姿を現したチュルーウエスト(6419m)

ついに姿を現したチュルーウエスト(6419m)

今回登頂を目指すチュルーウエスト(6419m)である。

入山6日目にして、やっとその姿がお目見えである。長かった。。

しかし、思った以上に立派な山容でなんだか嬉しい。

チュルーウエストは、チュルーセントラルと同じ山塊として聳えており、標高差1500mに及ぶ南壁を携えている。

巨大なチュルー南壁

巨大なチュルー南壁

今回私は、ここからぐるっと西側へ回り込み、チュルーウエスト上部は北側からのアプローチとなるため、みえている南壁の反対側から登る。

まだまだ、道のりは遠く感じる。

あの山をさらに裏側から回り込んで登る予定だ

あの山をさらに裏側から回り込んで登る予定だ

ここからしばらくは、景色が素晴らしい道が続く。

空気が薄く、紫外線も強くなり、歩行がわりとつらいが、絶景はあますことなく心に刻み付けてゆく。

ピラミダルなガンガプルナ(7455m)北面

ピラミダルなガンガプルナ(7455m)北面

どっしりとしたアンナプルナⅢ峰(7555m)とガンガプルナ(7455m)

どっしりとしたアンナプルナⅢ峰(7555m)とガンガプルナ(7455m)

マルシャンディ川上流部とアンナプルナ山群

マルシャンディ川上流部とアンナプルナ山群

ガイドのダワとアンナプルナをバックに

ガイドのダワとアンナプルナをバックに

荒涼とした北方面の山並みとヤクカルカの集落

荒涼とした北方面の山並みとヤクカルカの集落

標高4100mあたりになり、ヤクカルカという場所でランチ。

ダルバートを注文する。

ここは多分ゲストハウスで、宿泊客と思しき欧米人が何組かいる。

中高年夫婦と見られる二人組は、リラックスしながら黙々と読書をしているし、別の若い男女5人グループは、トランプゲームで盛り上がっている。

この様子を見て「元気そうだな、優雅だな。羨ましいな」と感じた。

ということは、この時点で、わりと高山病による体調不良が表出してきたと言える。

ヤクカルカでダルバート。具が少ない??

ヤクカルカでダルバート。具が少ない??

出てきたダルバートは、食材の具が貧相な感じになっていた。。

これだけ高度のある山間部の場所だと、客に豪華な食事を提供するのもいよいよ大変なことだと感じさせられる。

食べた後、再び少し休んでから出発する。

この時点で、ゴンブーとヴィシュヌがやっと追いついてきた。彼らと入れ違いで我々は出発。

荷物が大きいとやはり大変そうだが、不満なさげに仕事してくれているのはありがたい。

標高4000mを超える場所にも、人の生活がある

標高4000mを超える場所にも、人の生活がある

途中にあるまた別の茶屋で、ダワが偶然同業他社のポーター仲間と出会ったので、おしゃべりタイムが少々。

アンナプルナ山群から徐々に離れてきた

アンナプルナ山群から徐々に離れてきた

チュルーウエスト(6419m)。見え方が変わってきた

チュルーウエスト(6419m)。見え方が変わってきた

さらにそこからわずかに歩くと、

本日の目的地であるレダーの集落に到着した。

レダー(4200m)

標高4200mのレダーに到着

標高4200mのレダーに到着

標高4200m。

風が吹き荒び、寒い。

高山病の影響か、わりかし頭がくらくらしており、チェックインの後、日向にある休憩室で少し休んだ。

宿でしばし放心。ガンガプルナがよく見えた

宿でしばし放心。ガンガプルナがよく見えた

しばらくの間、ダワも横に一緒に座って休んでいたが、ふと席を立って出て行った。

(ここからダワの行方がわからなくなる)

ここレダーの宿からは、ガンガプルナを中心としたアンナプルナ山群がよく見えてはいるが、草木の背丈は低く、荒涼とした禿山に囲まれていて、冷たい風が吹いており、外を散歩するには結構厳しい。

そして基本的に息苦しく、身体が休まる感じがしなかった。

太陽が山の向こうに沈むと一気に寒くなる

太陽が山の向こうに沈むと一気に寒くなる

宿の外に手洗い場があり、蛇口から冷たい水が出しっぱなしになっている。

ここで水を汲んで、浄水器で濾過している女性トレッカーがいた。水を毎回買うのもお金がかかる。

私も「スーパーデリオス」という携帯浄水器を持ってきている。まだ未使用なので、真似して使ってみようかな?と思ったが、ここでは結局使わなかった。

ダワが行方不明

夕方、日がだんだんと暮れてくると、夕飯の注文をしなくてはならない時間となる。

いつもならダワが聞いてくるのだが、そのダワが先ほどから居ない

宿の食堂や休憩室、宿の外の周辺あたりを探したが、どこにもいない。

???

一体どこへ?

他に行くような場所もないはず。

ダワだけ別の宿に宿泊?

寝る部屋だけ離れた建物にあるとか??

とにかく、どこに行ったのかわからなかった。

ポーターのヴィシュヌとゴンブーは、私とダワから大分遅れて宿に到着した。

最初、ヴィシュヌから「ダワはどこにいる?」と聞かれ、わからないと答えた。

ヴィシュヌはダワを探して、レダーの集落の他のゲストハウスなどに向かっていった。

そして、ヴィシュヌもいなくなってしまった。

一方、ゴンブーは同じ建物内に留まっていた。

ゴンブーに「ダワはどこ?」と聞くと、

笑顔で「アイドンノウ(知らない)」と。。

ゴンブーも知らないとなると、お手上げやん。。

てか、それでいいのか??

夕飯の注文は、結局自分から宿の人に申し伝えた。

日が沈み、外は真っ暗に。

まだダワは戻ってこない。

本気で心配になってきた。。

ちなみにダワの荷物は、ずっと受付横の壁に立てかけたままで置いてあり、部屋に持って行ってもいない。

(ダワが別室に泊まるのか、同室なのかすらわからん)

どっか崖から転落してしまってたりとか。。

何かあったんじゃなかろうか?

今までこんなに長時間行方不明になったことはない。

というか、山の中の小さな集落にいて、その日の行程が終了した後には基本的に他に行くところもないはず。

なんならヴィシュヌもいない。

一体どこへ??

ゴンブーだけは近くにいる。

なので最悪、ゴンブーと今後行動は共にできるが。。

ゴンブーも本当に何も知らないのだろうか?

いかんせん、お互い英語がちゃんと話せないので、細かいコミュニケーションがとれない。

部屋にいても薄暗いうえに寒いので、食堂の中央にある暖炉の前でひたすら立ち尽くす。

席はすでに世界各国から来ている多くのトレッカー達で埋め尽くされ、着席もできない。

スマホはWi-Fiが一応あるものの、電波状況が極めて悪く、ほとんど使い物にならない。

Wi-Fiはあるけど中々つながらなかった。。

Wi-Fiはあるけど中々つながらなかった。。

しかも電池残量が残りわずかで、さらにこの宿ではコンセントがどこにもなく、受付で聞いても充電サービスはやってない様子。

ひたすら、ダワ待ちの時間。。

すると、ヴィシュヌが突然宿の入り口に姿を表した。

すかさず「ダワは見つかった?どこにいる?」と聞いたら、

「もうすぐここに戻ってくる」的なことを言った。

しかし、それからしばらく経ってもダワは戻ってこない。

とはいえ、どうしようもない。

ただひたすら、食堂で待つことしかできない。。

欧米人カップルが座るテーブル席の向かいが空いていたので、そこに相席させてもらい、しばらく待つ。

すると、ダワが帰ってきた!

時刻は18時半。すでに日が沈んでからしばらく経っていた。

どうやら離れた場所にある別のゲストハウスに集まっていた

ポーターコミュニティに参加しておしゃべりしていたらしい。。(汗

夕飯は注文した?と言われたので、勿論注文したよと答えたけど、勝手に行方不明になっておいてそれはどうなのよ?と思わなくもない。。

一般的な感覚ならクレームつけて揉めそうなレベル。

ただ、私はお金を払ってサービスを受けている客という立場ではあるけれど、そういう関係性を過度に意識をすることはなく、またそういう意識を持ちたくもなく、登山仲間として、パートナーとして、接したいと思っており、また実際にそうしている心づもりでいた。

なので、そこは過度に怒りが湧くということもない。

仲間が勝手に行動して一時的に行方不明になってそして帰ってきた。

それだけの捉え方であった。

それに多分ダワからしても、英語もまともに話せない外国人客と四六時中一緒にずっと山旅をしていたら、それはコミュニケーション不足でストレスが溜まるはずで、息抜きに他の同業者とおしゃべりくらいしたくなる気持ちはわかる。

SPO2値と夕飯

食堂は既に夕飯を食べているトレッカーで賑わっており、ほぼ満席である。

ダワが欧米人カップル2人が座っていたテーブル席に私を誘導し、「相席いいですか?」と聞いてくれて、そこに座ることになった。

ここで、私はパルスオキシメーターを取り出して血中酸素濃度を計測した。

やはり標高4200mでは常時調子がよろしくない。。

SPO2値は70台前半。

このパルスオキシメーターに相席のカップルが興味を示していたので、「これは酸素の状態を測るやつだよ。やってみる?」と話しかけてみた。

男性のほうはSPO2値が89、脈拍は110くらい。

女性のほうはSPO2値が91、脈拍は86くらい。

すごい。2人ともいたって良好だ。

ちなみにダワは、SPO2値が89、脈拍は78くらい。

ダワに至っては脈拍も低い。

さすがはシェルパ族である。

ちなみにカップルのうち、男性のほうは

「昨日ティリチョレイクのほうまで行ってきたんだけど、さすがに頭がガンガンして辛かったよね」と言っていた。

ティリチョレイクは標高5000mくらいある。

しかし、標高を少し下げて順応したのかもしれない。

女性のほうはパルスオキシメーターについて何やら英語で質問をしてくれたのだけれど、早口で複雑だったので聞き取れなかった。。

彼女はフランス人らしい。

男性はイギリス人で、一時期香港に住んでいたことがあり、香港で日本人の友人がいたと話していた。

「アーユージャパニーズ?」

私のことは、すぐに日本人だとわかったようだ。

そうこうしてると、夕飯のダルバートが運ばれてきた。

レダーの宿でのダルバート。具沢山でおいしい

レダーの宿でのダルバート。具沢山でおいしい

ここのダルバートは、この高所にしてゴロゴロ具沢山で結構豪勢である。

カップルとは簡単な会話しかできなかった。

もっと英語がしっかり出来てたら、色々深い会話もできるのに。。

食べ終わってからは、カップルが目の前で少しイチャつき出したので、気まずくなってその場を離れ、また暖炉の前でしばらくの間立ち尽くしていた。

しかし立っているのもダルいし、そろそろ部屋に戻って寝ることに。

部屋に戻りたくないのは、「とにかく寒いから」だ。

部屋にはベッドが3つあったが、電源はない

部屋にはベッドが3つあったが、電源はない

今回はベッドとかけ布団が冷たくてショボい。

厳冬期シュラフは必須アイテムだ。

ウトウトし始めると、だんだん頭痛が酷くなってくる。

呼吸がゆっくりになると、高山病の症状が現れるのだ。

なかなか寝付けない。。

しばらくすると、ダワが部屋に入ってきた。

ここは3人部屋なので、今回はダワが同室に泊まるようだ。

そしてダワは、布団に入ってからまもなくいびきをかきはじめた。。爆睡

羨ましい。

こちらは全然寝付けない。

寝落ちしそうになると目が覚める。

これを朝まで繰り返し、結局ほぼ全く眠ることはできなかった。

SPO2値はすでに70台で、おそらく夜中横になっている時は60台まで下がっていたはず。

その為、翌朝はかなり高山病による苦しさで辛い目覚めとなったのであった。