最悪の体調とつらい登り
6時半起床、7時朝食、8時出発。
朝食は、はちみつムスリムトースト・ゆでたまご2個・コーヒー(※余裕がなく写真は撮れず)
昨夜はほぼ眠れず、高山病の影響でかなり気持ち悪い。
食欲も減退しており、パンを平らげるのも時間がかかる。
ヴィシュヌが運んできてくれたゆでたまご2個も、そのうち1個は食べることができなかった。
天気は今日も快晴。朝日が眩しい。
少し歩くと、レダーの村はずれのロッジ前で、またダワがそこにいた知人と少しおしゃべり。
その間に、自分のデイパックの背中に、日本から持ってきた太陽光パネルを取り付ける。
バランスは悪いが、これだけ日差しが強ければ多少は充電してくれるのではないかと考えた。
そこから、いよいよ登りが始まる。
序盤はわりかし急登で、早速苦しい。
ポーターふたりはとにかく荷物がでかいので、最初は先行して歩いていたが、私とダワがすぐに追い抜くことになった。
とはいえ、ペースは決して早くはなく、ゆっくりなのだが低酸素の影響で息切れが激しい。
立ち止まって呼吸を整えることが頻発する。
日本で山を登る時にはこうはならない。
たとえ重荷を持っていてももっとラクに登れるはずだ。
最初は単調で急な、山の中腹のこんもりと盛り上がった地形の、草しか生えていない斜面を延々と登るが、
そこを超えると、右側にあった沢が合流して、ルンゼ(溝)状の地形を歩く。
日差しが強い。
視界に緑色の光がパチパチする。
決してペースそのものは速くない。それなのに、ペースを上げることなどできない。
休憩している時、呼吸を意識し続ける。
「スー、ハー、スー、ハー」
それでもしんどすぎて、うつむき突っ伏してしまう。
10分休んでも回復しない。
ダワが立ち上がって歩き出すときは、非常に億劫だった。
やがてルンゼ状地形の登りを抜け出し、傾斜が緩んで、U字谷(氷河地形)の趣となり、草地が広がる。
そこでダワが再び休む。
私は、思わず倒れ込んだ。
呼吸はますます荒い。
しんどすぎて、立ってなどいられない。
激しく息を切らせながら、しばらく草地に突っ伏して倒れていた。
ダワも身体を横にして寝ている体勢をとっている。
駄目だ。。
あまりにもキツイ。。
息切れもつらいが、目眩もすごい。。
ぐらぐらと回転する景色に
一度横になると立ち上がる気力が削がれる。
20分くらいは横になっていたと思う。
ダワも結構大休止をしていたので、そこそこ疲労していたのだろうか?
このままずっと動きたくなかったが、
ダワの合図で再び起きあがり、
重い腰を上げて歩き出す。
ゴンブーとヴィシュヌはまだ追いついてこない。重荷を背負っているので当然だと思う。
とはいえ、私は空荷なのに、身体が鉛のように重く、しんどい。
意識が少し朦朧としており、視界もおかしく感じる。
陽の光が強烈に眩しくて、目を開けているのが辛い。
早くベースキャンプに辿り着きたい。
ルンゼ状の急登はいつしか終わり、広大なU字谷の緩やかで単調な草地が広がっている。
ふらふらと歩みを進めていたら、突如ベースキャンプに到着した。
ベースキャンプにて
その場所は、ボルダーのような巨石が点在している広い谷底。
岩と岩の間をタルチョ(チベット仏教の祈祷旗)が渡してあり、ベースキャンプ感を主張していた。
思わず岩陰に座り込み、放心していた。
一度座ってしまうと、もうなんにもする気が起きない。
標高は4900m。
いま人生で最も高い場所にいる。
私は2007年にモンブランに登ったことがあるが、モンブランの標高は4810m。
そこよりも既に高い。
モンブランを登頂したとき、こんなに酸欠が辛かったろうか?
もはや詳しくは思い出せないが、さすがにここまでフラフラではなかったような。。
いや、記憶の中では結構体調はよかったはずだ。
完全に高山病にやられている今、思考もまともに働かなかった。
これからテントを設営して、昼ご飯を作って食べる。
それをガイドとポーターがやってくれる。
ありがたい。
そして、私はもう何もしなくてもいい。
でもせっかく隊で登山してるわけだし、何かしら手伝いたい。
でもこんな状態ではなんにもできない。
そんな心持ちだった。
しばらくして、ゴンブーとヴィシュヌが到着した。
彼らが到着すると、早速テントの設営作業に入った。
テントは二基用意されており、大きな前室付きのノースフェイスの3人用テントだ。
結構年季も入っている。
はっきり言って、日本の軽量テントなどと比較すると非常に重たいタイプ。ただし強度は高い。
私も一瞬手伝おうかと思ったが、そもそも高山病のせいで体力の消耗が激しくて気分も悪く身体が思うように動かない。
というかそこで休んでいろと言われたので、3人のテント設営作業を黙って見守っていた。
彼らは非常に手際よく作業を進めていった。
完成したテントは、
「私専用のテント」と「ガイド&ポーターのテント」。
つまり一基は、まるっと私だけの貸切となる。
贅沢すぎる。
しかもガイドのダワは、
私のために快適な全身用エアマット(しかもピローつき)も用意してくれていた。
それを用意してくれているとは事前に知らなかった私は、実は私自身で高額なエアマット(ダウン入り)を購入し、持参してきていたのだが。。
食欲不振に苦しむ
一通りの設営を終えたところで、
ポーター兼コックのゴンブーがガーリックヌードルを準備してくれた。
結構胃が気持ち悪くなってたので、比較的食べやすいものを作ってくれて助かった。
食べたあと、テントの中で少し横になる。
1時間半ほどウトウトしていた。
この感じだと、明日標高5500mのハイキャンプに上がるのはきつい気がする。いや、正直きつい。。
標高3500mを越えたあたりから、数日間のトレッキングで、じわじわと疲労が溜まってきているのかもしれない。
横になっている間、モヤモヤ考えていた。
明日動くのはやはり厳しいかもしれない。
私はダワに伝えた。
「いま正直言って高山病のために頭痛と吐き気で苦しい。明日は休養日にしてほしい。そして明日一日体調の様子をみて、行けそうだったら明後日ハイキャンプに行きたい。それでもやはり無理そうだったら、レダーかマナンまで下山したい」
ダワは快くOKと言ってくれた。
少しほっとした。
16時すぎに、今度はゴンブーがお茶とビスケットを運んできてくれた。
普通においしいのだけど、とはいえ少しずつしか食べることができない。
そして食べ終えることができずにいたら、17時すぎに夕食のダルバートを運んでくれた。
ダメ押しの量。
直径30cm近くある銀の大皿にてんこもり。
超ボリューミー!!!(泣
いや、美味しそうではある。
標高4900mの山の中のテント内で、こんなに贅沢なものが出されるとは。
そういう驚きとともに、有り難く頂くことにする。
しかし、唐辛子が効き過ぎていて辛い。。
いや実際おいしい。
美味しいのだが、ビスケットすらまともに食べられないのに、このボリュームを完食できるとはとても思えない。
標高3000m以下の下界だったらば、問題なく美味しく平らげることができただろう。
これまでに私は、ネパールで食べてきた料理は基本的に美味しく感じられ、
3食しっかりと食べることができたし、
なんなら日本人の多くがネパール料理でお腹を下していると聞いてきたなかで、
日本でも常にお腹を下しがちな私が、ネパールではなぜか全くお腹を壊すこともなかったのだ。
それなのに、高所の影響には完全に太刀打ちできなかった。
悔しかったし情けなかったし、
何よりせっせとご飯を作って運んでくれたゴンブーに申し訳がなくて仕方がなかった。
別に料理が不味くて食べられなかったわけじゃないんだよ。
高山病でただただ吐き気が凄くて食べられない。
それをゴンブーに伝えたかったけど、
言葉がなぁ〜〜。。
いや、こちらの様子をみていて多分伝わってるはず。
そんなことを思い、1時間以上かけてもそもそ頑張って食べていたけれど、結局半分くらいを残してギブアップした。
外は既に暗くなっていた。
そしてシュラフにくるまって再び横になった。