真夜中の5500m
1時起床との申し合わせだったが、1時半に起床。
ゴンブーが朝食のオートミールとスープを持ってきてくれる。
少しは喉を通るようになった気はしたが、完食は出来ず。
そうこうしながらもフル装備を装着して出られるようにしなければならない。
オーバーパンツを履き、ウールのソックスの上からネオプレーンソックスを履き、ダブルブーツに足を入れる。
中々靴に足が入らず、この作業が、低酸素ではすぐに息切れしてしまい、足も攣るし、非常に苦労する。
ロングゲイターを巻いて、ダウンジャケットを羽織り、やっとの思いで外に出る。
外はシンシンと雪が舞っていた。
ヘッドライトを照らすと、少しガスっているようで、遠くの視界は確保できない様子。
非常に冷える。気温は推定氷点下15度くらい。
隣のシェルパテントで泊まっていたダワが全装備を身につけて私の前に現れた。
ごついダウンジャケット上下を身につけており、気合の入った精悍な表情で私を見ていた。
偶然にも私の亡きおじいちゃんにそっくりの顔をしたダワは、トレッキング中の穏やかな顔つきだった昨日までとは、まるで別人の百戦錬磨の登山家に見える。
実際ダワは、エベレストにも登頂経験があり、今回のチュルーウエストにも過去に2度登頂したことがある経験豊富なヒマラヤニストである。
アイゼンを履き、軽量ハーネスを装着し、リュックを取り出す。
全てのウエアを身につけると、全身が着膨れしてゴワゴワする。
動きがモタついて、少しダワを待たせることになってしまう。
ロープを結び合って、いざ出発。
時刻は2時半。
既に予定よりも圧している。
歩きはじめて少しすると、早速岩場が現れる。
完全真夜中なうえにガスで視界が悪く、先のルートがどのようになっているのかが、ほとんど見えてこない。
ダワの動きは自信に満ちており、的確なルートファインディングでどんどん前進する。
岩場はいきなり急なクライミングとなり、外傾したスラビーな岩棚にマントルを返す(=棚に乗りあがる)ようなムーブが出てきた
思ったよりも悪い。。
最初に左上したと思ったら、次は右上し、ルート取りも複雑だ。
今回の登山は、クライミング経験が多少ある自分にとっては、技術的には難しくないと思っていただけに、やや面食らう。
そして、岩場を越えると、雪の細いリッジが現れる。
当然ながら、両側が切れ落ちており、底はどれほど切れ落ちているのかが暗闇のために全く見えない。
どこまでも深い底知れぬ深夜の暗闇の空間である。
非常に恐ろしくて身体が萎縮する。
当然ながら、数百メートル切れ落ちていることは想像に容易い。落ちたら終わりだ。
とはいえ、落ち着いて歩けば問題はない。
神経を使って慎重に通過する。
まだ歩き出して20分も経っていないのに、息切れが激しい。
ゆっくり歩いていても心臓が「ドッドッドッドッ…」と高速で鼓動を打つのが聞こえてくる。
ダワの引くロープにだんだん引っ張られるようになる。
「ダワ、ソーリー。ストップ」
ついに息切れで立ち止まってしまう。
息を懸命に整える。
だめだ、まともに歩くこともままならない。
少し休んでから再び歩き出すも、2〜3歩も歩くともう呼吸が荒れて心臓がバクバクし出す。
つらい。辛すぎる。
まだ歩き出し序盤だ。
こんな何でもないところで心が折れそうな自分が情けない。
これが標高3000mくらいなら全くなんてことはなく歩けるはずなのに。
これが高所登山というものなのだ。
この闇夜の世界が不安を掻き立てる。
せめてはやく、夜が明けてほしい。
数歩歩いては立ち止まり、また数歩歩いては立ち止まる。
これを繰り返す。
かなりお腹が空いてきて、日本から持ってきたチョコレート味のプロテインバーを一本頬張る。
パサパサだったけど、これはどうにか胃袋に入ってくれた。
そしてシャリバテになりかかっていた身体が若干復活した感じがしたのだった。
それにしても、足が浮腫んでいるのと、靴下を二重に履いているためか、足が締め付けられている感じが気になる。
足指先への血行が阻害されている感じがして、それによって指先が冷たく感じられた。
歩きながら指先を動かすようにしていたが、極めて不快でストレス。
靴下は二重履きにすべきではなかったと後悔した。
凍傷になることだけは絶対に避けたい。
しばらくすると、はるか前方の、やや上方にヘッドランプの灯りが2つ、うようよと動いているのが見えた。
どうやら我々のほかに2人パーティが先行しているらしい。
どれほどの距離が離れているのかわからなかったが、そこそこ遠い場所を先行しているように見える。
雪の尾根を歩いてゆくと、その2つの灯りは、自分達からみて、かなり上の角度に移動してきた。
つまり、ここからは急雪壁の登りであることを意味した。
まだ暗闇の中なので、この雪壁の規模がどれほどのものなのかが全くわからない。
事前に予想していた範囲では、ハイキャンプからは比較的なだらかで単調なダラダラした登りが延々と続くものだと思っていた。
しかし、実際には想像とは全然違っていた。
とにかく目の前にあるルート、その先に続くルート、これからどんな場所がどれほど出てくるのか、全く想像もできなくなってきた。
雪壁には固定ロープが設置してあった。
これにアッセンダーを取り付けて、ゆっくりと確実に登高する。
非常に急で、傾斜角は多分45度以上ある。
ロープか、なにかしらの確保がなかったら結構怖い場所だ。
何せ暗闇で視界が全くないのが恐ろしい。
ただ、先程まで降っていた雪は止み、上空には星空が見え始めていた。
今俺は、夜中のヒマラヤの高所にいるのだ。
それが信じられないことのようで現実だ。
そのことを実感するだけで気が遠くなる。
本当に、この俺が、ヒマラヤの高所に来ているのだ。
16年前にモンブランに登った時も、夜中3時ごろに天の川が見える満点の星空のもと、異常なまでに明るい月明かりに照らされて4000mのスカイラインを歩いた。
あの時の非現実感も凄かったが、今回はさらなる秘境の奥地にいる。
地球の屋根に、俺はいる。
そんなことを考えた。
そして、先の見えない登山。
数歩歩いては苦しくて立ち止まり、息を整え、また数歩歩く。
あと一体どれほど歩けばいいのだろう。
本当にこの非現実的なヒマラヤの山から俺は下山できるのだろうか。
直近の未来すら気が遠くなるほど先のようで、見えてこなかった。
夜明けまではとても長く、長く感じた。
一歩一歩、懸命に足を前に運ぶ作業を、無限回数繰り返すのみ。
気が遠くなるような辛い時間。
しかし、いずれその時はやってくる。
天界の夜明けと決断
東の空に白い筋が浮かび出した。
ふと上を見やると、
大空は漆黒から濃紺に近い色味を帯びていた。
さらに周りを見渡すと、
心なしか白き峰々が静かに、巨大に、
四方八方に浮かび出していた。
大空は濃紺から群青色へ、
刻一刻と色味を変えてゆき、
東の地平線に横一直線に伸びる白い一筋の光は
次にオレンジ色の暖かい色味を帯び出した。
我々は、雪壁を越え、痩せた雪稜を歩いていた。
正面に巨大な富士山形の白い山塊。
目指すチュルーウエスト(6419m)の全容だ。
まだ視線よりも高く、遠くに立ちはだかって見えた。
スマホで写真を撮ろうと思ったが、低温で電源がなかなか入らなかった。
GoProも同様、電源がすぐに落ちてしまい、動画を撮ることもできなかった。
やがてルートは、雪稜を左の斜面に周りこみ、アップダウンを繰り返しながらのトラバース気味の道筋となる。
このあたりから、クレバスが至るところで口を開けており、歩行には細心の注意を要した。
また斜面は急で、バランスを崩すと東側に数十〜百数十メートルを滑落するだろうし、下では巨大なクレバスが口を開けて待っている。
我々より先行していた2人パーティがトレースをつけてくれており、我々はそれを辿って歩いていた。
が、徐々にその2人との距離が縮まってくる。
しかし私の体力も、もう限界に近かった。
微妙なアッブダウンを繰り返す高度を稼がない道が目の前に続いていたが、決してスピードを出す事などはもはやできなかった。
雪稜から離れ、大雪原を突っ切るパートに差し掛かるあたりで、先行の2人は立ち往生していた。
ルートを見失ったような様子だった。
ここから先は広大で平坦な雪原が広がっている。
しかしトレースや明瞭なルートとなる道筋が隠れてしまっていた。
少なくとも昨夜に降雪があったので、それによってルートが隠されてしまった可能性があった。
ここから先はおそらく、無数の「ヒドゥンクレバス(隠れた雪の割れ目)」が待ち受けている。
それらは、複雑な配置と形状で、見た目にはわからない場所に、新雪に隠された形で無数に存在していることが想像された。
先行パーティ2人も、それを想像して呆然としていたところだったのだろう。
2人に追いついて、ダワが彼らと少し何か話したようだった。
そして、やや困ったような態度を示した。
私はここで、
「ダワ、もう私は体力が限界だ。残念だけど、
と言っていた。
もう気力も体力も限界だった。
チュルーウエストの山塊は、まだここから遥か遠くの道のりに見えた。
苦労してクレバス地獄を越えて、仮に登頂できたとしても、長すぎる下山の道のりを歩き切れる体力が残ってるとは、とても想像できなかった。
それくらいに今現在、エネルギーが枯渇しきってきた。
あたりにはアンナプルナ山群、そしてその右のはるか奥に、均整がとれた将棋型をしたダウラギリⅠ峰がカッコ良く、大きく聳えていた。
はるか眼下には、これまでに登ってきたベースキャンプまでの道のりが手に取るように見えている。
標高4500mくらいあるあの場所ですらも、ここよりはるかに低くみえる。
それほどまでに、高い場所に自力で歩いて登ってきた。
世界の屋根となる壮大な地球の起伏は素晴らしかった。
これが見れただけでもう十分に満足だ。
私の敗退宣言を聞いたダワは、一瞬なにか考えたような表情をしたが、すぐに「OK、引き返そう」と言ってくれた。
先行の2人も、ここから引き返しはじめた。
そう、登山に無理は禁物なのだ。
天気はすこぶるよかった。
雲一つない完全なる快晴。
悔しくないかと言われると、それは嘘になる。
登頂できなかったことはとてもとても悔しい。
でも、何年も憧れ続けたこのネパールヒマラヤのアンナプルナ山域に、
自分の意思ひとつで行動を起こし、
紆余曲折を繰り返しつつも決して実行を諦めず、
会社を辞めてまでこのヒマラヤの高みにまでやってきた。
そのこと自体が嬉しかったし、
自分自身を褒めてあげたかった。
撤退途中にようやく懐に入れて暖めていたスマホの電源がつけられて、ヒマラヤの大展望の写真を撮ることができた。
私は年甲斐もなく、
はるかダウラギリに向かって叫んでいた。
「ついに俺はここまできたぞー!!!」
全力で叫んだ。
その横でダワは何を思っただろうか。
彼はただ、黙っていた。
そして、帰路についたのだった。
下山
下山の道のりも決して楽ではなかった。
全くもって、ペースは上がらなかった。
2〜3歩あるいては立ち止まって呼吸を整える。
その繰り返し。これを無限に繰り返すのだ。
やはり引き返すのは正しい判断だった。
もし登り続けていたら、
下山中に力尽きてゲームオーバーだったに違いない。
ゆっくり、ゆっくりと、
重い足取りで下山してゆく。
太陽が東の空から登りはじめ、
あたりはオレンジ色の暖かい光に包まれた。
ゴーグルをしていても眩しい。
気温も急激に上昇してくるのがわかる。
当たりの様子が完全にわかるようになると、
登ってくる時に暗闇で全く見えなかった道のりが把握できるようになる。
「こんな場所を登ってきていたのか」
急雪壁を固定ロープを使って懸垂下降する。
白い細径のスタティックロープなので、ATCとの相性がよくなく降りづらかった。
微妙なアップダウンがありつつ、グネグネした雪稜を下る。
下りでも全くスピードは出せない。
登りと同じくらい、数歩出しては激しく息切れする。
登るとき、こんな場所を通ってきてたのか。
明るくなって視界が開けると、
雪稜の両サイドの斜面は、確かに切れ落ちてはいるけれど、
見えてしまえばそれほど恐怖な感じでもなかった。
南〜西にかけての、7000〜8000m級のヒマラヤの展望がすごい。
すごいんだけれど、あまりにもしんどくて、景色を楽しんでいられる余裕がほとんどない。
再び急な雪面を下る。
下った先に、巨大で底の見えない穴があった。
滑ってあの穴に落ちたら一貫の終わりだ。
こうした穴や割れ目がいたる箇所で口を開けている。
だんだんと意識が朦朧としてくる。
スタミナが切れかかっている。
視界が眩しく、ふらふらする。
結構降りてきて、そろそろハイキャンプの場所が視認できるところまでやってきた。
もう少しだ。
しかし、ここで膝から崩れ落ちた。
そしてそのまま倒れ込んでしまった。
ダメだ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ…」
呼吸がつらすぎる。
無惨に横たわる私。
その様子を黙って見守るダワ。
ダワは何も言わずに私の横にしゃがみこんだ。
そして、ゆで卵を一つ差し出してくれた。
私はそれをありがたく頬張った。
ただ、パサパサしていたので飲み込むのに苦労した。
15分くらいそこで悶えていたが、
少しずつ楽になってきた。
再び立ち上がって、重い足取りで歩き出す。
一歩ずつ、少しずつ、
わずかに距離を稼ぐことを繰り返す。
ハイキャンプは見えているのに遠かった。
中々辿り着かなかった。
あと少しというところで、
夜中に出発して最初に苦戦した岩場の下りが出てきた。
今こうしてみると、
そこまで悪い岩場ではなかったが、
ゆっくりと慎重に降りていった。
岩場をくだりきると、もうハイキャンプは目前の距離だったが、私はまた力尽きてしゃがみこんだ。
岩に腰を下ろして、アンナプルナ山群を眺めて、改めてその雄大な景色に感動しようと努めた。
そう、いま自分は、すごい場所にいるんだと。
そういう気分になりたかった。
ダワも私に合わせて休んでくれてたが、
私は「キャンプも近いので、先に行っててくれ」と伝えた。
ダワが先行してから、まもなく私も歩き出す。
当然ダワには追いつけず、ゆっくりと歩みを進める。
引き摺るようにして一歩ずつ歩き、やっとの思いでハイキャンプに着いた。
倒れ込むようにしてテントに入る。
しばらく全く動くことができなかった。
呆然としていたら、ゴンブーが紅茶と辛ラーメンを作って持ってきてくれた。
本当に働き者でありがたい。
まだ低酸素の影響で内臓はズタボロな感じだけれど、
スタミナ切れなのでさすがにそこそこ食べることができた。
(しかし汁は残してしまった)
時刻は10時半をまわっていた。
陽はいつしか高く昇り、日差しは相当にきつくなっていた。
意外なことかもしれないが、高所では紫外線が非常に強く、
日中の体感温度もかなり暑くなる。
テントの中も灼熱だ。
標高5500mあっても、昼間はめちゃくちゃ暑い。
でも時折吹き付ける風は冷たい。
テントの中でまどろんでいると、このままここでゆっくり泊まりたいなと思い始めていた。
そこでダワから、
「今日中にレダーまで降りるぞ」との指示が。
マジで??
今から?
もう体力は尽きてしまっているのに??
ちょっと信じられない気持ちになったけど、
でもこの高高所にずっと居続けるのもつらいという気持ちもかなりあった。
身体はあまりにもキツイけれど、頑張って降りよう。
今さえ乗り切ってしまえば、もう勝ちだ。
HC撤収
早速テント撤収。
私は自分の大量にある装備品を外に出して、まとめて、荷造りを行う。
この時、催してきたので
近くの雪面で小便をしようとしたら、
なんとシェルパの誰かがシたと思われるブツを発見!
そこに小便が勢いよくぶつかってしまい、
跳ねっ返りをつま先に食らってしまう。。
撤収を終えて、いよいよ下山。
淡々と来た道を戻る。
下りに関しては、ここから急激に標高を下げてゆくので
呼吸はみるみる楽になっていった感じがした。
急な岩場で、固定ロープの懸垂下降を数回繰り返す。
シェルパたちは、荷物がでかいにも関わらず、バランスを上手にとって、
懸垂下降も、足場の悪い斜ったザレ場も器用にこなしてゆく。
ゴンブーとヴィシュヌは下りスピードがはやく、いつしか見えないほどに先へ行ってしまった。
私はダワと一緒にゆっくり降りていったが、途中で大をしたくなってしまったので、ここでダワに少し先に行ってもらった。
ダワは私と距離が離れない程度に先行する。
大を終えてから、ガレ場を下ってゆくと、ダワが待ってくれていた。
私が追いつきそうになると、ダワも歩き出す。
そして標高4900mのベースキャンプに到達した。
ここまで来ると、だいぶ呼吸も楽になってきて、数歩歩いて立ち止まるということはなかった。
そのまま、U字谷を突っ切って、谷沿いのガレ場を下っていって、
西日が稜線の向こうに沈む頃に、やっとレダーに到着した。
長い長い一日。
疲れ果てた一日だった。
レダーの宿
レダーの宿は、先行していたゴンブーが手配してくれていたようだった。
先日とはまた別の場所、
トロンフェディ寄りにあるゲストハウスで、
部屋は広かったが、少しゲロ臭かったのと、
入口付近にヤクの巨大な糞(肥料)が落ちていたのが少し気になった。笑
ゲストハウスに宿泊しているトレッカーの数が多く、シャワールームは中国人トレッカーが占拠しているような混雑っぷりだったが、
標高が4200mと高くて寒い上に、どのみちまともにお湯が出ないと予想される温水シャワーなので、シャワーについてはまあ、わりかしどうでもよかった。
しかし標高6000m近くの高所から、4200mまで降りてきて、頭痛や吐き気は相当に解消されて、14時間におよぶ長時間行動で疲弊していたものの、思った以上に元気があったと思う。
ロッジではベッドに倒れ込んで動けないとかではなく、普通に荷物をバラしてパッキング作業をしたり、ふらふらとその辺を散歩したり、アタック日の高所長時間行動で疲れていたわりには、ロッジでの私は不思議とそこそこ元気だった。
久しぶりのロッジでの夕飯はピザを頼んでみた。
わりと美味しく食べることができた(しかし2割ほど残してしまった)。
陽がかげり、暗くなってくるとやはり部屋にいると寒いので、食堂にある暖炉のあたりにずっといた。
そういう(寒がっている)人たちが、周りに数人集まっていた。
宿の人が、燃料となるヤクの乾燥させた大きな糞(肥料)をスコップで持ってきた。
それ(肥料)を客に言ってストーブに入れさせてたのには少し驚いたがw
そのときに、何人かのトレッキング客と話したり話しかけられたりした。
実業家の与沢翼さんにそっくりの顔をした、色黒で体格のいいインド人(?)に、今日登ってきたチュルーウエストについて聞かれたりした。
その流れで、今後の行程では、トロンラパスを超えて、ムクティナート・ジョムソンを経て、トレッキングを終えた後にポカラでパラグライダーをする予定だという話をしたら、目を丸くして聞いていた。
寝る前に、ヴィシュヌに会って今回のチップを渡したかった。
マナンで合流した若手ポーターのヴィシュヌは、明日早朝にお別れして、共用テント装備などを持って再びマナン方面へ下山する。
チュルーウエストの登山そのものは今日で終了したので、これによってヴィシュヌについては役目を終えたのである。
ロッジの前を歩いていたヴィシュヌを見つけて声をかけ、就寝前に感謝の意味合いを込めてチップを渡すことができた。
金額を言ってしまうと4000ルピーである。
ヴィシュヌの表情からは、それが嬉しいのかどうかはちょっと読み取れなかったが、「サンキュー」と言って受け取ってくれた。
あれ?相場や金額的におかしかったか??と少し思ったのが正直なところではあったが。。
なにせはじめてのチップを渡すという行為で相場感は掴めない(一応地球の歩き方に記載されていた相場を参考にした)。
だがこういうのは、自分の感謝の気持ちで渡すものなので、あまり余計なことは考えないほうが良いのかも。
ヴィシュヌは、30歳の若手ポーターで、出会った初日から愛想よく元気で、後発隊としてカトマンズからマナンまでジープで入山し、
30kgを超える共同装備(主にベースキャンプで張るテント)を、シェルパポーター独自の「額に紐」方式で担ぎ上げ、食事提供のサポートなどの気遣いも随所でしてくれて、とても好感度の高い青年であった。
英語はあまり話せなかったけど、せめて私の英語がもう少し流暢だったなら、伝わりやすいこともあったかもしれない。
もっと密にコミュニケーションがとれたら良かった、という思いが正直なところではあった。
それはテンションが高くて元気で、年上で先輩でもあるダワやゴンブーたちとの交流でも彼は全く臆するようなところがなく、むしろ彼らを圧倒せんばかりに、ネパール語で面白おかしく会話をしていたのを見ていただけに、ひょうきんで気さくな性格なのを感じ取っただけに、余計にそう思うのである。
そんなヴィシュヌは、明日早朝にこのレダーを発つ。
今夜のこれが最後の顔合わせとなるのであろう。
またどこかの山で会えたらと思う。