真夜中の4500m
3時起床、4時出発。
外がまだ真っ暗闇の中、2時台から宿泊客のトレッカー達がごそごそと動き出す。
木造のゲストハウスのため、壁が薄く、隣の部屋に泊まっている欧米人たちが立てる物音や喋り声で目が覚める。
食堂に行くと、すでに人がごった返している。
朝食も各々の注文のタイミングで順次出される。
私はラーメンを注文したが、日本のマルタイ棒ラーメンのような、コシがなくてぶにょぶにょした麺のみで具が全く入ってないものが出てきた。
食欲がない上に美味しくもなく、完食できず。。
ここ最近でもっともチョイスをしくじったと思う。
出発前にトイレに行く。
トイレは別棟になるが、バケツに貯められた水の表面が凍っており、夜半からの寒さ具合がわかる。
ここトロンフェディでのトイレは、さすがに日本の山小屋ボットントイレくらいの衛生クオリティとなる。まあ仕方なし。
ヘッドランプをチカチカさせながらの出発。
クソ寒いので、ウェアはフル装備。厚手ダウンジャケットも羽織る。
登り出しはいきなり急な九十九折りの登りとなる。
朝から簡単に息が切れる。キツイ。
しかし、3日前の、標高4800mのベースキャンプ〜標高5500mのハイキャンプへ登る日よりも、高度的には大差がないにもかかわらず、少し楽に感じた。
やはり高所に身体が少しは慣れてきたのだろう。ゆっくり着実とではあるが、ひたすら単調な急登を詰め上がってゆく。
早朝4時すぎの凍てつく寒さの暗闇の中で沢山の欧米人トレッカーやポーター達に混じって、抜きつ、抜かれつ。
まあ抜かれることのほうが多かったが。。
トロンハイキャンプ(4850m)で1回目の休憩。
トロンハイキャンプという名前だが、別にテン場というわけではなく、宿泊ロッジがある小さな集落である。
水を飲み、少しパッキングし直して、すぐに出発。
ここから先の登りは、傾斜がわりと緩やかになる。
山腹をぐねぐねと横切るようなルート取り。
そしてところどころに残雪と凍結した箇所が出てくる。
徐々に東の空が白んできて夜明けが近いことを感じとる。
これから登る方面の山の輪郭も、だんだんと見えてくる。
8000mクラスのアンナプルナ方面は、残念ながら雲に覆われているようだ。
しかし、一昨日に登ったチュルーウエストは、ピラミダルな形状でひときわずしりとした重厚感ある山容で東の方角に黒々と佇んでいる。
小さな茶屋が突然視界に現れる。
ここでブラックティーを注文する。
外は凄く寒いので、暖かい紅茶を流し込むと身体が温まるのがわかる。
早朝の薄暗い中のこの狭い茶屋の雰囲気は、どこか日本の山小屋にも通ずるものを感じた。
飲み終えると、黙々とすみやかに出発。
東の空はさらに明るさが増しており、チュルーウエストをはじめとしたヒマラヤの山々がさらにくっきりと、山肌の様子も見え始めていた。
トロンラパスへの道
緩やかだが、これから歩くのはところどころに雪のついた、ひたすら茶けた土の山肌。
トロンラパスの峠が、見えそうでみえてこない。
それくらいにダラダラとした坂道が続いていて距離もあった。
額に紐スタイルで巨大な荷物を運ぶポーターたちに次々と追い抜かれる。
彼らの体力とスピードは尋常じゃないと思う。
てか、ネパール語で「ビスターリ」という言葉をシェルパたちからよく聞くのだが、ビスターリとは「ゆっくり」という意味である。
なので、シェルパ族のポーターの人達はゆっくりゆっくりと山を歩くのだと思っていたが、今回のトレッキングでは違うと思った。
彼らは別に慌てているわけではないが、ナチュラルに歩くのが速いと感じた。
今回一緒に歩いているゴンブーもそう。結構速いのである。
まあ、そこは高所に順応しているか否かの話なのかもしれず、彼らが早いというよりは、高所に順応しきれていない私が遅いだけなのかもしれない。
所々に仏陀の絵をあしらったチベット仏教の祈祷旗が立てられていたりして、こうしたものを見るとアジアらしい異国情緒を感じる。
山の感じは、ヨーロッパアルプスに近いのだが、文化的にはインド寄りのアジア。こうしたことを考えると不思議に思う。
ハイライト・トロンラパスを超える
7時50分。
ついにトロンラパス(5416m)に到着。
息苦しいが、頭痛とかはほとんどない。
どうにかこうにか無事に峠を越えられそうだ。。
出発から4時間近く歩いてきた。
それにしても寒い。
タルチョが大量に寄せ集まっている場所で記念に写真をパシャリ。
Yakgama Kang(6481m)の岩山が北に聳え立っており、この辺り全体の地形的な雰囲気が、日本の北アルプスの「槍の肩」を思わせる。
ここにも峠の茶屋があり、すかさず中に入って休む&コーヒーを注文。
ぞくぞくと到着するトレッカーでごった返している。
隣に座っていた欧州人の若い女性(美人だった)が、どうにも気分が悪そうにしていて、周りの人達に心配されていた。
おそらく高山病にかかっているのだろう。
多分、少し前に我々を追い抜いたグループのうち、馬に乗っていた女性だと思う。
楽そうでいいなぁ…と思いながら見ていたのだが。
ここでも長居は無用で、コーヒーを飲んだらすごすごと出発する。
ここから先、西の方面にはガスがこびりついていて、視界が効かなかった。
下りでは打って変わってペースが速くなる。
先日のチュルーウエストの下りではスピードが出せなかったが、今日の下りでは、そこそこスピードが出せる感じ。
単調な茶色の大地を踏み締め、どんどんと標高を下げてゆく。
白くガスがかかった山では、自分がどんな場所を歩いているのかよくわからない。視界が効かないと、まるで日本の山を歩いているような錯覚さえ覚える。
若干雪が舞っていて、初冬の秋山を歩いている感じで、はじめて11月らしい感覚を覚えた。
ダワは歩きながら、色んな人に話しかけられる。
ダワから話しかけることもある。
結構、知らない人と密にコミュニケーションを取るんだなと思った。
いや、ダワはベテランの現地ガイドだから、
それにしても周囲を歩いているポーター達は、「色黒の日本人」って感じの顔立ちの人が多い。多分シェルパ族だと思うが、本当に日本人に顔立ちが似ている民族だと思う。
一気に標高を1000mくらい下げてきて、また茶屋に到着した。
ここまでくると、旧ムスタン王国のテリトリーとなり、チベット感が出てくる。
ランチを勧められたが、ここでは何も食べなかった。
紅茶と、ダワから分けてもらったココナッツ風味のビスケットを少々齧りながらの休憩。
昨夜トロンフェディの宿にいた韓国人の中年男性グループもここに居合わせた。特に話したりはしてないけど。。
結構疲労してきたが、もう一踏ん張りで目的地のムクティナートだ。
単調な下りをひたすらにサクサクと歩き続けると、やがてガスが晴れてきた。
それとともに気温もぐっと上がってきてあまり寒くなくなった。
標高が4000mを切ると、さすがに高山病のつらい感じも取れてきて、心理的にもかなり気が楽になった。
ムクティナート方面の集落が遠くに見えてきた。
やっと到着だ。。
吊り橋を渡り、山腹を左に巻くようにして歩くと、
ムクティナートの街が突如視界に飛び込んできた。
チベット側の街・ムクティナートへ
久しぶりの下界である。。
そして街の入り口は、マナストリ(寺院)であった。
標高3800m。
ここムクティナートは、チベット仏教とヒンドゥー教、双方の聖地とされている。
まずはチベット仏教施設の境内に入り、建物内を拝観。
まるで日本の神社のような寺のような趣で、
いきなり懐かしいような不思議な感じ。。
その後ヒンドゥー教のエリアを通過しつつ、
境内の階段を降りてゆく。
聖地だけあって、観光客が沢山訪れている。
勿論、パンプスを履いているような女性とか普通の一般人がたくさんお参りに来ているのだ。
標高は3800mあるのだが、もはや既に下界感が半端ない。。
日本の地方にある寺社仏閣となんら変わりがないように見える。
そこからさらに長い参道の階段を降りてゆくと、ムクティナートの街の中心部につく。
約8時間の歩行であった。
遠くから見るとちゃんと街に見えたムクティナートは、いざ入ってみると、道は未舗装で建物も工事中だったり、老朽化で朽ちまくっていたりして、「ん?廃墟なのかな?」と思ってしまった。。
ターバンを巻いて黒く日焼けした爺さん。
絨毯や織物を並べる路面店。
多数の野良犬。馬。糞。バイク。
土埃が舞うダート。
乾燥した茶色い大地。
なんというか、中国やチベットというよりは中東とかアラブとかの感じがした。
宿にチェックイン。
この宿も外観は少し怪しげだった。
が、中は至って普通。
部屋に荷物を置いたら身体の力が抜ける。
ここにはコンセントがあった。
やっと、ガジェット類の充電ができる…!!
お腹が減っているので、宿の一階にある食堂でメニューを見る。
ハンバーガーがあるので、急に食べてみたくなり注文。
食堂ではフランス人カップルと相席になった。
彼らに運ばれてきた料理を、彼らが食べ終わるくらいの時間まで、私の注文した料理は出てこず、結構お預けな状態になり、8時間のトレッキング後としてはなかなか死にそうであった。。
しかしやっと出てきたハンバーガーは、大皿にポテトが沢山と野菜もつけ合わせてあって、思わず「うぉ…」と声が出た。
それを見ていた相席のフランス人女性と目が合い、
「ボナペティ🌟︎(召し上がれ❤️)」
と言ってくれた笑
このハンバーガーがめちゃくちゃ美味かった。
長時間行動で腹ペコなこと、標高がかなり下がって体調が戻ってきたこと、そして下界の暖かい肉料理が久々だったこと。
これらが組み合わさって、久々に食の喜びに感動した。
ボリュームも十分満足な量だったし、これでかなり生き返った気がした。
Wi-Fiもやっと繋がったので、親に無事安全圏まで下れたことをLINEで報告。
その後、部屋で荷物の整理を少しして、街中散策に出る。
ムクティナートも、それほど大きな街ではなく、メインストリートは1〜2本。しかも未舗装。
街の端から端まで歩いていけるくらいには狭かった。
土産物店や飲食店も少なくて、あんまり見どころはなかったけれど、
街全体の雰囲気は中東的で、妙に独特で、荒野の大地にある朽ちた集落の趣が、中々味わい深いと思った。
変な客引きが居るとか、特段そういう怪しさもなかったし、
学校があって子供達が下校していたり、普通に平和な街だった。
日本人だから、旅行者だからといって絡まれることもない。これはネパールではどこの街にいってもそんな感じなんだと思う。
意外とみんな、他人に関心はなさそうだ。
ひと通りフラフラしたら、スマホの電源がなくなりそうだったので、まだ外は明るいが、宿に戻る。
スマホは生命線であり、これがあるから異国の旅もスムーズにやれる側面が強い。
逆に、スマホがないと結構不安だ。日が落ちると、外は急激に冷える。
夕飯を2階の食堂で注文してからは、例によってそこにある暖炉の近くであたたまる。宿泊する旅行客は大体みんなそこに集まってくる。そしてそこがちょっとした旅行者同士のサロンとなるのが通例だ。
食事が出てくると、席がバラけて各々テーブルへ移動してそこで食べるようになる。
私の注文はフライドライスだったが、今回のは結構な激辛で、完食するのに時間がかかった。。
唐辛子効きまくりの激辛フライドライス(炒飯)
葛藤の末の最終の打ち合わせ
食べ終わる頃に、ダワとミーティング。
明日ジョムソンに到着してから、その後にどうするのか?という話。
元の計画では、ジョムソンに到着した時点でアンナプルナサーキットトレッキングの全行程が終了する。
つまりジョムソンから先は、陸路(バス)もしくは空路(小型飛行機)でポカラまで移動し、ポカラで一泊した後でツアー解散。ダワ達とお別れし、ポカラで残りの日程を私ひとりで消化する。
しかし、ダワからは「トレッキングを引き続き一緒にどうか?」という提案。
ジョムソンから先の具体的行程としては、
タトパニ温泉までバスで行って一泊し、翌日から再びトレッキング開始。
8000m峰ダウラギリとアンナプルナの展望台であるゴレパニ峠まで行って、また一泊。
翌朝に近くの山頂・プーンヒルまで行ってヒマラヤの大展望とご来光を眺め、峠を越えた反対側、つまりポカラ側にあるナヤプルへ下山。
そのままバスでポカラまで行き一泊。
翌日ツアー解散&お別れ。
要約すると下記のとおり。
- 11月13日 ジョムソン→(バス移動)→タトパニ
- 11月14日 タトパニ→ゴレパニ(トレッキング8時間)
- 11月15日 ゴレパニ⇔プーンヒル→ナヤプル(トレッキング8時間) →(バス移動)→ポカラ
このどちらにするのか?というのを決めなくてはならない。
これはつまり、出発前にカトマンズ でスマン氏に提案されていた、「タトパニ温泉&ゴレパニ峠トレッキング」の追加案。
この話は、トレッキングの最中に検討して、ジョムソンに着くまでに決めてくれてかまわない…。
このように言われており、トレッキング中もずっと結論を保留にしてきたのだった。
とりあえず、チュルーウエストの登山が終わるまでは、高所順応や体調管理に全振りしたかったので、このプランについてどうするのか、ということは考えている余裕がなかった。
登山が終わったのはほんの2日前。この2日間で、どうするのかをぼんやり考えてきたのだったが、どうにも明確な結論が出なかった。
元々のツアーの計画は、「ジョムソン→(バスor飛行機)→ポカラ→解散」である。¥そして、ポカラでのんびり3泊してカトマンズへ戻るというもの。
実はポカラ滞在は、今回の最大の目的のひとつでもあった。
ポカラは標高800mの湖畔のリゾートである。そのポカラからは、8000m級のアンナプルナ連峰がどーんと視界全面に聳え立ち、比高7000mの高度差で眺めることができる。世界で類を見ない標高差で巨大な山々の景色を堪能できる。
世界最高峰エベレストでもここまでの比高で見ることができる場所はない(エベレストが見えるのは、標高3800mくらいから。つまりエベレストは8848mなので、比高5000mくらい)。
シンプルに「山の高さ・でかさ」を味わえるのは、ポカラからみたアンナプルナが最強なのである。
そうした景色の場所でゆっくり羽を伸ばすことが私の長年の夢でもあった。
これをやりたかったはずなのだが、彼らが提案する「ゴレパニ峠トレッキング」は、元々ポカラ用に当てた日程のうち、2日間を消費する。
つまりポカラ滞在日が2日減るのだ。
すると、ポカラには実質1日しか居られなくなり、もし天気が悪いと山が全く見えないままに慌ただしく帰ることになる可能性がある。
しかし、ゴレパニ峠からのダウラギリやアンナプルナの展望もずっと見てみたいと思っていたし、せっかくネパールに来たのに行かないのは勿体無く非常に捨て難かった。
そして何よりも、これまでずっと一緒に旅してきたダワとゴンブーのふたりと2日後の夜にはもうお別れしてしまうのもかなり心細かった。
やはり彼らが在って成立してきた旅だったし、もう少し、なるべくならギリギリまで一緒に居たいと思うようにもなっていた。
この選択は非常に難しかった。
さらにそれに加えて、「帰国日を遅らせる」という選択肢があった。
航空券はネパール航空の正規割引運賃で取得していた。つまり、LCCではないので、帰国便の日程は変更することが可能なのだ。
実は帰国日を数日遅らせても個人的には全く問題はなかったりする。入国時のアライバルビザでも、30日間有効のものを取得しているので、滞在期間的にも問題はない。
それならば、ゴレパニ峠トレッキングを追加して、ポカラ滞在も後ろにずらして、帰国も遅らせれば良い。そのように考えた。
結論、ダワには
「ゴレパニ峠トレッキングもぜひ一緒によろしく」と伝えた。