【11/15 Day19】ゴレパニープーンヒルーナヤプルーポカラ

早朝4時起床

まだ外は真夜中である。

ダワとゴンブーの泊まる部屋に行くと、いきなりゴンブーがベッドの中から片手を上げて

「グッモーニン、サー!!」

今日も早朝から元気である…笑

妄想と現実の答え合わせ

4時半出発。

ヒマラヤの展望台・プーンヒル(3210m)へ、ご来光を拝みに空身で登る。

元気よく朝の挨拶をしてくれたゴンブーは付いてこないw(多分二度寝

あくまでもガイドであるダワと、2人行動。

朝食は摂らず、すぐに出発。

真っ暗闇の中、ダワは淀みなく道を見つけて歩いてゆく。

エベレスト登頂経験があるだけでなく、他の山域の高山から低山まで、あらゆる山域の道案内にスムーズに対応する。

ガイドとしての歴の長さ、経験値、実に信頼に値する。

プーンヒルへ上がるのに、ゲート(入場門)を通過する。

そこから、石畳を歩いて登る。

途中、中国人団体と遭遇。大人数の中高年団体で、騒々しく喋りながら歩いている。

ダワに聞いてみた。

「このプーンヒルは日本人には有名な観光スポットになっているけれど、最近日本人旅行者は来てる?」

ダワは「15年くらい前までは多かったけど、最近は見ないネ」と。

約1時間ほど暗がりの中を登り、標高3210mのプーンヒルに到着。

夜明け前のプーンヒル。展望台の鉄塔が闇夜に浮かび上がる

夜明け前のプーンヒル。展望台の鉄塔が闇夜に浮かび上がる

気温は薄ら寒く、風も少しある。

すかさず茶屋で温かい飲みものを買う。

バニラティーなるものを飲んだ。

茶屋の壁にステッカーが大量に貼られていた

茶屋の壁にステッカーが大量に貼られていた

夜明け前の暗がりの空の向こうに、うっすらとアンナプルナ山群のシルエットが見えている。

幻想的な夜明け前のアンナプルナ山群

幻想的な夜明け前のアンナプルナ山群

重厚感と神々しさがものすごい

重厚感と神々しさがものすごい

幻想的だ。

天気は快晴。

徐々に空の闇が明るんで、群青色に変化してゆく。

ダウラギリ方面。世界中の観光客でごった返す

ダウラギリ方面。世界中の観光客でごった返す

ダウラギリ山群が空に白く浮かびあがってきた。

次第にヒマラヤ山脈8000m級のスカイラインの輪郭が、くっきりと浮かび上がってくる。

左から、ニルギリ南峰、アンナプルナⅠ峰&南峰、ヒウンチュリ、マチャプチャレ

左から、ニルギリ南峰、アンナプルナⅠ峰&南峰、ヒウンチュリ、マチャプチャレ

北側は谷が深く切れ落ち、

濃い森の山腹を広がっている。

標高3210m、奥穂高岳と同じくらいの高さから、さらにそこから4000〜5000mも高く聳える山群を仰ぎ見る。

とてつもない雄大な光景。

「標高差展望マニア」としてはたまらない

ここからの景色は、何十年も前から、どんなふうに見えて、どんなふうに感じるのか?

そういうことを妄想し続けてきた場所のひとつだった。

その答え合わせを今、やっとすることができた。

左から、ダウラギリⅠ峰、トゥクチェピーク、ニルギリ南峰

左から、ダウラギリⅠ峰、トゥクチェピーク、ニルギリ南峰

期待通りの感覚だった。

世界中から、数百人の登山客が集まっていて、壮大な夜明けのドラマに響めきがおさまらない。

地球上どこを探しても、ここまで谷が眼下深くに抉れ、また目線より高く切り立って聳える峰々が、ぐるりと視界を取り囲む場所は、

他にはほとんど無いのであろう。

上でも少し触れたが、この場所、プーンヒルは、私は高校時代から知っていた。

ずっと来てみたいと思っていた。

そして、今回、元々登山旅行計画には組み込まれてなかったけれど、現地に来てアレンジ提案をしてもらって、急遽来ることになったのだが、来て本当によかった。

夜明けのご来光というシチュエーションが、また感動を呼ぶのだった。

東の空から太陽が顔を出した。

日本だと日本第3位の高峰である奥穂高よりもわずかに高い場所になるが、ここヒマラヤでは、あくまでも「丘」の位置付けである。

ヒマラヤが高すぎる故に「丘感」は否めないし、たしかにその通りなのだけれど、

空気は凛として冷たく、

単なる丘にしては山奥深く渓谷は深く、

そしてヒマラヤは雄大だ。

観光客は、欧米人・インド系人・中国人がほとんど。

日本人は、たぶん全くいなかったと思う。

これまでの旅行中でも、日本人は全く見かけなかった。

後期コロナ・円安・不況の影響なのだろう。

ダウラギリ東面が朝日に照らされて黄色く輝きだす頃、ダワと私は満足し、プーンヒルから早足で下山。

眼下にゴレパニの集落をみながら速足で下山

眼下にゴレパニの集落をみながら速足で下山

ゴレパニ〜バンタンティ〜ウレリ

30分ほどでゴレパニ峠の宿に到着し、朝食。

朝食は蜂蜜とチャパティとコーヒー。

ダウラギリを眺めながらの贅沢な朝食

ダウラギリを眺めながらの贅沢な朝食

朝日に輝くダウラギリを眺めながらの朝食は最高だ。

しかし出発まで時間の余裕はあまりなく、もはやゆっくり景色を眺めている時間はない。

急ぎめに済ませる。

ゴンブーは、我々よりも先に、スタコラサッサと歩いていった。

ダワと私も、後から出発。

ここからは、峠を越えひたすらに下り続ける。

幅が広く、石段で整備されたゆるやかなトレッキング道を、少しずつ下ってゆく。

下りの途中で頻繁に人々が住まう集落が現れるのは、ネパールならでは。

道中の山腹のいたるところに集落や茶屋がある

道中の山腹のいたるところに集落や茶屋がある

平野の少ないネパール国内において、標高3000m以下のヒマラヤ低山域では、山腹のいたる場所で普通に人々が暮らしている。

また、そう言った場所では、世界中から訪れるトレッカーのためのゲストハウスやレストランも充実している。

その意味では、日本よりも山岳観光業では先進的で便利だと思う。

日本の山小屋と比べても、設備や衛生面で劣っているとも思わない。

今回のトレッキングでは、もはや標高を下げてゆく一方となる。

これまではヒマラヤ山脈の北側を回り込んできたが、今回はヒマラヤ山脈の南側を歩いているので、

森林はジャングルの様相を呈し、沢には水の流れが豊富にあり、気温も高く、亜熱帯的雰囲気が色濃くなる。(水量が豊富な樹林帯。日本の山にも似ている)

谷間の樹林帯をゆるやかに下ってゆき、北側の山の景色がやや開け、その向こうにマチャプチャレの頂上部がみえてきた。

マチャプチャレ(6993m)の頭頂部がみえてきた

マチャプチャレ(6993m)の頭頂部がみえてきた

バンタンティの集落の茶屋で休憩。

おばちゃんと顔見知りっぽい感じのダワが、親しげに話しかける。

バンタンティの茶屋にて休憩タイム

バンタンティの茶屋にて休憩タイム

ダワはガイドなので、あらゆる山域の宿やレストランのスタッフと顔見知りのようだ。

色んな場所で色んな人と話している様子をみると、やはり信用に値するガイドだったな、と思う

顔効きガイドのおかげで、この茶屋では無料で茶菓子と紅茶をサービスしてくれた。

無料サービスだったお茶菓子。ありがたい!

無料サービスだったお茶菓子。ありがたい!

このあたりから、南東側の空が開けて、明るい石畳の道が続いてゆく。

快晴の陽差しのもとさらなる急坂をガンガン下る。

牧歌的な農村的風景。日本っぽいなーと。

牧歌的な農村的風景。日本っぽいなーと。

明るく開けた石畳の道を快適に駆け下る

明るく開けた石畳の道を快適に駆け下る

アンナプルナサウス(7219m)と、ヒウンチュリ(6441m)

アンナプルナサウス(7219m)と、ヒウンチュリ(6441m)

ウレリという集落にあるゲストハウスで昼食タイム

ウレリという集落にあるゲストハウスで昼食タイム

途中のウレリという展望のよい集落のゲストハウス&レストランでランチタイム。

ここのメニューにあった「ムスタンコーヒー」というのを、興味本位で注文してみたら、見事に失敗

ムスタンコーヒー。炒った米粒が入っている。。

ムスタンコーヒー。炒った米粒が入っている。。

コーヒーに、炒った米と油が入っている。。

正直おいしくないw

さすがにこれはダメだった笑

食事はサンドイッチとサラダであったが、ボリュームがあって美味しかった

シンプルかつボリューミーなランチ。うまい。

シンプルかつボリューミーなランチ。うまい。

特にフライドポテトてんこ盛り。

時間をかけてゆっくり食べて、お腹いっぱい。

高度感のある場所で、風がけっこう冷たい

高度感のある場所で、風がけっこう冷たい

風が通り抜ける高台にあり、涼しくて快適だった(というか、少し肌寒かったほど)

食後にまったり。黄昏るゴンブー(笑)

食後にまったり。黄昏るゴンブー(笑)

ウレリ〜ヒレ〜ビレタンティ〜ナヤプル

食べ終わったら、さらに急坂を下る下る。

ガンガン下る!

ガンガン下る!

この道はトレッキングしている人がかなり多い。

かなりの数の人(単独・ペア・団体など)とすれ違ったし、後ろから抜きつ抜かれつの団体もいた。

団体トレッカーが多い。抜きつ抜かれつしたパーティ

団体トレッカーが多い。抜きつ抜かれつしたパーティ

途中、東屋的休憩所で、欧米人の女性トレッカーがダワを呼び止めて、

この先のルートか道筋などがわからなかったのか(?)何やら困っていて質問をしたときがあった。

それに対してダワが彼女に、何かしらのアドバイスを与えると、サンキュー!とお礼を言われていた。

その時に、後ろにいたゴンブーがすかさず

ユアウェルカム♪(ニカッ!)」と答えたのがウケた。

思わず日本語で、

いやキミに言うたんちゃうで。笑」とツッコミを入れたら

ゴンブーは大笑いしていたw

ゴンブーはこういうコミカルでゴキゲンなキャラなのだ。

いつも元気で愛想がよいお茶目なゴンブー

いつも元気で愛想がよいお茶目なゴンブー

それにしても無限に続くほどに長くて急な下りである。

これでもかというほどに下ると、ようやく谷底近くに到達。

そして再び濃い樹林帯と沢のエリアへ。

谷底の沢沿いの道に。一気に下ってきた感。

谷底の沢沿いの道に。一気に下ってきた感。

ヒレという谷間の集落で少し休憩。

大分降りてきた。標高はもはや1500mくらいである。

もう少しだろうか?と思うが、

ここからまだまだ長かった。

そしてついに車が通れるダート道に合流した。

ついに車が入れる道に突入

ついに車が入れる道に突入

ダワは走っている車を見つけては何台かにヒッチハイク交渉を試みていたが、断られた。

仕方なしにダート道をトボトボと歩く。

日本の夏の里山的風景

日本の夏の里山的風景

このあたりもまるで日本の田舎のような雰囲気。

なんだか既視感があるが、どこと似ているのかはわからない。

ところどころ、亜熱帯的でもある

ところどころ、亜熱帯的でもある

埃っぽいダートと黒い牛

埃っぽいダートと黒い牛

1時間半ほど、単調な景色の中を歩いて、

やっと大きめの集落ビレタンティに着く。

ビレタンティの集落。ここで実質トレッキングは終了となる

ビレタンティの集落。ここで実質トレッキングは終了となる

集落には子供がたくさん。

人懐っこいから絡まれる笑

欧米人女性トレッカーにまとわりつく子供とかいたw

大きな鉄橋の手前にトレッキングエリアのチェックポストがある。ここでダワが手続き。

そういえば、いつのまにかゴンブーがいない。多分後ろのほうを歩いているはずだが、中々追いついてこない。

はぐれてしまった。。

これまでにもゴンブーだけ、先に行ってしまったり遅れたりということは普通にあったが、今回は全然追いついてこない。

途中、道標や分岐があったりしたが、そこで間違えている可能性もある。

が、ダワは特に何も気にする様子はなかった。

大丈夫なのだろうか?

ここから先は、舗装路になった。

完全に下界だ。

そして、もうすぐトレッキングの終着点のナヤプルだ。

トボトボと歩き、ナヤプル手前の集落を歩いていると、若い地元の女性が沢山いた。

なにやら催し物が行われているようで、みんなおめかしして楽しそうだった。

こうした地方の谷間の田舎に、若者が沢山いる光景は、現代の日本では見かけない気がする。

途中でダワが川のほうに下ろうとしたところ、地元の住民にそっちじゃないよと制止された。

最後の最後でダワは道を間違えた。笑

一旦登り返して集落に戻り、上のほうにある公道を歩いて橋を渡る。

渡った先を道沿いに、右のほうに歩いてゆくと、ナヤプルに到着した。

地獄の乗合バス

ナヤプルの町に到着。これにて全行程が終了。

ナヤプルの町に到着。これにて全行程が終了。

ついに全行程が終了した。

約7時間。ひたすら下りだけだったが、結構疲れた。

バスやタクシーの停留所に茶屋があり、ここでまたブラックティーを注文する。

ダワはコーラを飲んでいた。

ゴンブーとははぐれているが、ダワは携帯でどうやらダワと連絡を取り合っているようだった。

てか、ゴンブー携帯持ってたか?

ちょっとよくわからないけど。

昨日からの道中で、抜きつ抜かれつで同じ道を歩いていた欧米人カップルもバス停にいた。

そして彼らは、タクシーを呼び止めて、それに乗ってさっさとどこかへ移動していった。

我々はどうするのか?

しばらくすると、乗合バスがやってきた。

ダワは「よしこれに乗ろう、さあバスへ!」と急きたてた。

バスの本数もそもそも少ないらしく、ポカラ行きのものはこれを逃すと今日はもうなさそうだ。

そして、このバスがまた恐ろしく混雑している。。

ダワは乗務員に少し交渉して、私の為に席を空けるように言ってくれた。

私は乗務員に厚遇されて、最奥の中央の席に座るよう案内された。

ダワは前の方に座るようだ。

これはまた、一昨日のジョムソンからタトパニの乗合バスを彷彿とさせる地獄の予感。。

一応座れたが、両側に2人ずつ、5人が肩を寄せてひしめき合った状態。

勿論、全席満員である。はっきり言ってクソ狭い。

前の通路はすぐに立ち客で埋め尽くされた。

そしてバスは動き出す。

ていうか、ゴンブーは?

乗ってなくない??

もはや激混みバスのなかでダワとも離れてしまっているため、状況を確認できない。

バスは九十九折りの道をぐいぐいと登ってゆく。

勿論、道が悪いのでスピードが出せない。

陽は西に傾き、そろそろ夕方である。

その時、バスが突然停止した。

何事か?

混雑満席の乗客は大人しくしており、誰も騒がない。

ただ私の目の前に座っている母子の子供はバタバタ暴れながら騒いでいた。

ときどき足で蹴られて痛いんだが、母親は子供に全く注意しない。

ネパール人は、子供を叱りつけたりしないようだ。

そういえば、そういう光景はこれまでにも見なかった。

日本人はよく街中でも怒っているし、騒いでいる子供に対しても厳しい目線を送る。

しかしネパールでは、そこが寛容に感じる。

バスは30分くらい、原因不明の停止をしていた。

これ、今日の夜どうなっちゃうんだろう?

ちゃんとポカラに到着するの??

不安になったが、再びバスは動き出した。動き出したとき、車内では少しどよめきが起きた。

どうも車両トラブルが起きていたようだ。

なんといっても見るからに古くてポンコツなバスだ。仕方ないことだが、生きた心地がしなくなる。

バスは時折スピードを出すが、頻繁にゆっくりになったり留まったりした。

ナヤプルからポカラまでは、勝手なイメージですぐに到着するものと思っていたが、実際にはかなりの時間を要した。

走れども走れども、中々到着しなかった。

山道を九十九折りで登り続けたあと、平坦な道をしばらく走ったかと思えば、今度はまた九十九折りの道を延々と下っていった。

わりと高低差のある、峠越えの道だった。

窓際ではなかったのでまともに外の景色を見ることは叶わなかったが、途中でマチャプチャレやアンナプルナⅡ&Ⅳ峰を仰ぎ見れるところがあった。

やっとヒマラヤ山脈の南側に下ってきた。

そしてもうすぐ、待ちに待ったポカラに到着する。

バス内ではずっと身動きできず、かなりトイレを我慢していて辛かった。

皆も同じように我慢しているはずだと思うが、側から見てるとよくわからない。

ポカラの街に入るが、どこで降りるのか?そもそもバス停とか複数あるの?

それとも皆決まったところで一気に降りるの?

とにかく全然わからない。

街中を走っているときは、バスが停止しそうなタイミングと、常にダワの様子を監視する。

一度バスがバス停らしき場所で停車したときに、乗客が何名か降りて行ったが、我々は降りなかった。

この時に混雑が少し緩和され、前の方にダワがいることを確認。

次にバスが停止したとき、ダワが立ち上がって振り返り、手招きした。

ここで降りるのか!

そして「すみません、ここで降ります!」とばかりに、前の通路に立ってる人達をすり抜けながらどうにか無事下車!

荷物は車の上に積んでおり、ダワの大荷物を下ろすのを手伝う。

ふと横を見ると、ゴンブーがいた

あれ??いたの??

同じバスにいたっけ??全然気づかなかったけど。

よくわからんけど、とにかく良かったと安心。

ゴンブーは相変わらずの笑顔だった。

我々一行はバスを降りると、すかさずタクシーを捕まえて、ホテルへと直行。

ポカラには、夜の帳が下りようとしていた。

ヒマラヤはうっすらと見えていたが、移動のさなかに眺めている余裕はなかった。

今回ポカラで泊まるホテルは、元々予約していた場所ではなく、スマン氏が急遽変更したホテルなので、ダワもよくわかってない様子だった。

ホテルの名前は私にメール連絡されていたので、ダワは、私にホテルの場所を調べてタクシーの運ちゃんに伝えるように言った。

私は助手席に座っていたので、Googleマップを運ちゃんに見せる。

そしてどうにかこうにか、無事にホテルの前に到着した。

いやー、疲れた。。

最後の晩餐

そして久しぶりの、下界街中でのホテル宿泊。

ホテル名は「Hotel elegant」

受付でスマン氏経由予約の旨を伝えると、

中国系のオーナー(?)が登場。

「スマン氏から我々一行の予約が入ってると思うのですが」というと、

ちょっとわかりにくい日本語で「うん、聞いてます。明日午前のパラグライダーの予定も聞いてます」的なことを言ったので、ほっとした。

部屋は5階の景色が良さそうな部屋で、何よりも広くて清潔快適なツインルームだった。

もちろん独り占め。

めちゃくちゃ綺麗で贅沢なホテルの部屋

めちゃくちゃ綺麗で贅沢なホテルの部屋

街中のホテルということもあり、シャワールームとトイレも綺麗。

カトマンズで泊まったホテルよりも上級である。

シャワールームとトイレも綺麗!

シャワールームとトイレも綺麗!

とにかく、一旦荷物を置いて、すぐに夕飯を食べるお店を3人で探しにいく。

ダワが先行して歩き、そのままダワが選んだお店に入った。

というか、店の前でメニューみてたら、店員に招かれて入ってしまった。

そこが、少し高級そうな感じのレストラン。。

スタッフの応対も紳士的で丁寧だ。

こういうちょっといいとこの雰囲気の店に入るとは予想してなかった。笑

メニューをみると、やはり少しお高め。

全体的に1000〜3000ルピーくらいする。

これはネパール的には相当高級。

さすがに私も若干引いたが、

その中でも比較的安くてボリューミーなチキンステーキなるもの(1100ルピーくらい)があったので、それにした。

ちなみにダワとゴンブーは相変わらずのダルバートカレー笑

このレストランに来た意味ある??

650ルピーくらいだったが、そっちにすればよかったかなと思うくらいに美味そうにみえた。

ダワとゴンブーは結局ダルバート。。

ダワとゴンブーは結局ダルバート。。

しかしチキンステーキは、器から盛り付け方、そして味がよく染み込んでいて肉がとても柔らかく、非常に美味しかった。。高いだけのことはあったが、

同じ価格なら日本で食べる料理よりもかなり美味い。やはりネパールはお得である。

最後の晩餐ということで、この場の食事では、これまでの旅で大変お世話になってきたふたりに、私がご馳走させていただいた。

 

その後、ダワとゴンブーは、「ちょっとレイクサイドのほうまで行ってくるので、あなたは部屋に戻ってゆっくりしてていいよ」と言うので、

思わず、「ふたりについていっていい?」と聞いてしまった。

OKというので、ついていくことにした。

夜のポカラは、物凄い喧騒と人だかりだった。

街にはネオンが輝き、人と交通の往来が半端ない。

道端でダンスパフォーマンスをやる人々。

そこを取り囲む観衆。

バイクと車で道は大渋滞。

完全なお祭り騒ぎだ。

ダワが言っていたが

この数日間、ネパールポカラでは、なんちゃら祭りというイベントで、みんな盛り上がっているのだと。

人混みをすり抜けながら、ダワは早足でメインストリートをどんどん歩く。

ゴンブーは既にはぐれて見えなくなっているw

途中、湖方向の細い路地を左に入り、しばらく直進して左にある小さな飲み屋の前まで来ると、そこのテラスで1人で飲んでいるネパール人男性がこちらをみて手をあげて声をかけてきた。

ダワはどうもこの男性と飲みの約束をしていたらしい

そこに、何も知らない私が加わることになった。

ただ、この男性は快く迎え入れてくれたのは有り難かった。

瓶ビールやロキシーを注文し、おつまみを食べながら談笑が始まる。

彼らはネパール語で話すので、何言ってるか完全にわからない

合流した男性は、山の格好で日本人に似た見た目人種のモンゴロイドだったので、シェルパ族なのだろうと思った。おそらくは、ダワのガイド仲間だ。

ダワよりはやや若く、しかし熟練の経験値が垣間見れる雰囲気と貫禄がそこはかとなく漂い、体つきも屈強そうなシェルパ族のガイドだ。

ゴンブーは、このとき口数が少なかったが、これは相手のほうが身分が高く、遠慮してでしゃばらないようにしているような感じ。

彼はたまに、日本人である私に対して、英語で話しかけてくれた。

「日本だと富士山が一番高いよね?実は私も登ったことがあるんだよ」

「ヒマラヤでは、日本人登山客はこの15年で激減したよね。ほんと最近、日本人は見なくなったわ」

「チュルーウエストにトライしたの?でも登頂できなくて残念だったね。リベンジは次は来年?ぜひトライしに来なよ笑」

そんな感じのことを話した。

ロキシーとおつまみで、夜はふけていった。

テラスからは、ポカラ郊外のサランコットの丘にあるロープウェイ駅と山腹に点在する集落の電灯がキラキラ光っているのがよく眺められた。

ダワはロキシーをガンガン飲んで結構酔っ払っていた。

ゴンブーも途中まではおとなしくしていたが、ロキシーが入ってからだんだんと饒舌になっていった。

ガイドであろう男性は、それまでは瓶ビールばかり飲んでいたが、途中からは飲むのをやめており、シラフな感じである。

小一時間ほど経った頃、あまりにもなに話してるのかわからなすぎて、また本日の8時間にわたるトレッキングと移動で疲弊していて眠気が酷くなってきたので、途中で離脱したくてうずうずしてきた。

会話はいつまでも途切れず、途中離脱のタイミングが見つけられなかった。

しかしついに意を決して、

「すいません、私だけこれで先にホテルへ失礼します。今日はありがとうございました!ご馳走様でした!お代はここに置いていきます」

と言った。

そしたら、ガイドの男性が

おー、お疲れ!いやいや、お代はいいよ、(この金は)持って帰んな。またネパールおいでよ。今度はチュルーウエスト登頂だよ!ハハハ!」的なことを言ってくれた。

いやー、ありがたい。。

ここでダワとゴンブーも、

「我々ももうすぐお開きにするよ。でもホテルへの道わかる?気をつけて帰って。明日朝早朝に我々もカトマンズ に経つから、ここでお別れになるかもだけど」的なことを言った。

私は「ホテルへの道は大丈夫。オーケー、明日朝お別れだね。お世話になりました。ほんと今まで一緒に旅してくれてありがとね!」的なことを伝えた。

そして、私ひとりだけ先にお別れして飲み屋を去り、宿に帰った。

そして、じっくりとシャワールームで身体中の汚れを落としてさっぱりし、広くて快適で綺麗なベッドで久々に眠りに落ちたのだった。。