後ろ髪を引かれて
6時過ぎ起床。快晴。
アンナプルナ連峰の朝焼けが美しい。
しかしバタバタとポカラは去ることになる。
ホテル1階ロビーにて荷物をまとめて待機。
迎えのタクシーは7時15分ごろに到着。
欧米人中年夫婦と相乗りだった。
私以外にも、同じバスパークから出発する旅行者がたまたまホテルに泊まっていたということになる。
ちなみにタクシー代は500ルピーで、事前にオーナーに支払っている。
ホテルからバスパークまでの距離は2kmほどだったので、最悪歩いても行けた距離だが、タクシーだと楽。5分ほどで到着。
この日この時間のカトマンズ行きのバスチケットは、旅の始まりの時にスマン氏から受け取っている。
これをバスパークの職員にみせると、「それならあのバスだよ」と案内される。
無事、該当のバスへ。
シェルパ族っぽい乗務員の人に話しかけられる。
山に登ってきたという話をすると、
「私の友人にも日本の山岳ガイドがいてね、彼は屈強な登山家だったよー」と言っていた。
その日本人ガイドの名刺も見せてくれたが、知らない人だった。
今回はツーリストバスと呼ばれる大型の観光バスなので、行きの際に乗った乗合ハイエースよりは大分ゆったりと乗れそうだ。
バスはゆっくりと出発する。
ポカラ市街地で、何ヵ所かに停車し、少しずつ乗客を乗せてくる。
車窓からは、アンナプルナ連峰が少しずつ角度を変えながらその勇姿を見せている。
昨日見たダムサイドからの景色よりもくっきりはっきりと見えていた。
本当に後ろ髪引かれる思いで眺め続けた。
ポカラ市街地から出ようとするあたりで、急に濃い霧に包まれて視界がなくなってしまった。
そこからはもうずっと霧の中だった。
バスは砂埃の舞うダートを走り続けるので、スピードは出せず、また上下の揺れが激しく、とても気持ち悪くなり吐きそうになった。
しかしそれは最初のうちだけで、徐々にそういう感じに慣れ、また激しい縦揺れも少なくなり、そのうち居眠りするくらいになってきた。
すぐ隣に座っているインド系の女性は、スマホで誰かとひっきりなしに喋っている。
ネパールでは、公共交通機関の車内で携帯で喋ることについてはわりと寛容らしい。
バスは時間をかけてゆっくり移動する。
マナスル遠望
途中、マナスル三山(マナスル・ピーク29・ヒマルチュリ)がよく見える川縁の道路があり、その景色に目を見張った。
ガスはいつの間にかとれていて、アンナプルナ方面の山々も見えるようになっていた。
標高は恐らく400m前後の辺りなので、ここから見る8000m級の山々は地球上でも類を見ない高度差である(標高差マニア)。
しかし山々までは、70kmほども離れており、かなり遠いはずなのだが、信濃大町から北アルプスを眺めているかのような距離感規模感に感じられた。
ヒマラヤの山々は見た感じデカイというよりは、「遠くにあるはずの山々が近くに見える」というのが正直な感想と言えよう。
雪山というのは、その雪の白い輝きが、実際の距離よりも近くにあるように感じられるのだ。
そんなことを思いながら、ヒマラヤ山脈を車窓から一生懸命に眺めて目に焼き付けようと努力した(変態)。
昼食~カトマンズへ(時間との闘い)
時折、ウトウトして寝落ちする。
渓谷沿いのダート国道では、車窓から野生の猿たちもたくさん見かけた。
午後14時ごろに、ランチ休憩があった。
ここで、私はチョウメンを注文。
約200円でめちゃボリューミーでスパイシーな唐揚げ付き。
大量に食べられて満足。
ローカルフードは当たりを引くと最高。
バスは次第にカトマンズへと近づいてゆく。
カトマンズ盆地へ至る最後の登りでは、渋滞が激しく中々進まない。
日没が近づいているが、ヒマルチュリ、その向こうにはアンナプルナⅡ峰がうっすらと見えている。
1日がかりのバス移動で、同じ山が角度を変えつつ一日中見え続けているのも、ヒマラヤの巨大さゆえだろう。
カトマンズ盆地に入ったあたりで夜になる。
スマン氏から、「何時ごろにカトマンズに着きそうか?」の旨のメール連絡があったので、「バスには乗っているが大分遅れている様子」の旨を返信した。
スマン氏のいる事務所は、営業時間が19時までなので、それまでに間に合わないと荷物が受け取れないで、困ったことになる。だんだんと不安になってくる。
途中、バス内のとある子供がどうしてもトイレをしたいという理由で停車し、母子が降りて子供のパンツを下ろして道端でトイレをさせる。
その間乗客はみんな黙って待つ。
カトマンズの街に入ってからは、所々でバスは停車し、一定の乗客を降ろす。
行きの時は、カトマンズ市街地北部の離れにある大きなバスパークから乗ったが、今回私は全員が降りる最終着地の「バラジュー・チョーク」という場所で下車。
(※ダワが、バスはここで停車するという話を数日前にしていたが自分にはピンとこず、後でこの場所をGoogleマップで調べたらその名前の場所だったとわかった)
ここはカトマンズ市街地の北西部にある。
私はてっきり、行きの時のバスパークで下車するものだと思っていたが、そうではない異なる場所で降ろされた。
バス停らしい雰囲気からはかけ離れた、ダートの路肩にすぎない場所だった。
野良タクシーの運ちゃん
時刻は18時半を過ぎている。
なんと11時間ものバス移動であった。
下車すると、タクシーのキャッチが多数待ち構えていた。
バス停車場からタメル地区までは、どのみちタクシーを捕まえて移動しようとは考えていたので、タクシーのキャッチがいることは、探す手間が省けるのでむしろありがたい。
下車して2秒で声をかけられ、早速金銭交渉。
事前にダワから、
「バス停車場からタメル地区までのタクシーは大体300〜400ルピーだから、その金額を提示したら良いよ」と聞いていた。
なので最初から先手を打ってその額で申し出ると、
「いやいやそれはちょっと。じゃあ500ルピーでどう?」と返されて、こっちもちょっと疲れてたので、
「OK、じゃあ500でいいよ」としてしまった。
タクシーは土砂がドロドロに堆積した場所に停めていて、まず脱出するのにまごつく。アクセル全開でペダルを踏んでもタイヤは空回りを続ける。
さらに思いっきり踏みこんだらそこからやっとバックで脱出。Uターンして公道へ。
タクシーの運ちゃんは、色黒ではあるがコワモテ系ではなく、雰囲気的にはやや線が細く人の良さそうな感じだった。
とはいえ、車の中では色々と営業をかけてくる。
「カトマンズの有名な観光地には行った?ダルバール広場、スワヤンブナート、パシュパティナート。よかったら、明日とかでも案内するYO」
「いやー、ダルバール広場とスワヤンブナートはもう行ったし、明日は歩いて観光する予定だからいいわ」
とやんわりお断り。
ホテルの場所は伝えたはずだが、途中で「スマホの地図あったら、ナビってくんない?」と言い出した。
おいおい、実は場所知らんのかい。。と思いながらも、スマホの地図をみて方向を指示。
ホテルの近くまで来ると、対向車線を横切り右折で細い道を入らないといけないのだが、交通量が多すぎて横断できず。
他の道から回り込んでホテルまで横付けして欲しかったが、運ちゃんが音を上げる。
「ここで降りてもらっていい?」
ちょっとイラッとしたが、
幸い私はもともと地理感覚に優れているおかげで、その場所を記憶・把握しており、またそこからホテルまでは歩いてもそんなに遠くもないことを知っていたので、降りることにした。
そこで500ルピーを支払おうとしたら、手持ちに1000ルピー札しかなく、お釣りをもらおうとした。
そしたら今度は運ちゃん、財布を何度もまさぐった結果、
「ごめん、釣札がないわ。うん何回みてもない。100ルピー札が2枚しかない。。まじ申し訳ないけど、お釣り200ルピーでいいかな?」
「いやいや約束と違うやん、500ルピーちゃんとお釣りくださいよ!!」
「いやでも、、何回探してもないし、どうしようもない」
「…」
完全にお手上げといった様子だった。
怒っても解決しないし、こんな中途半端な道端で現金持ってないやつを責めても暖簾に腕押しになりそうだ。
仮に銀行にお金を下ろしに行かせても、時間かかりそうだし。。
考えただけでも面倒臭すぎるので、諦めて200ルピーだけを受け取って下車。
野良タクシーのキャッチはやはりタダでは済まなかった。
こういうこともあろうかと、こちらがきっちりと予め小銭を用意しておけば、当然こうしたことにはならなかったはずなので、反省点はまずそこだろう。
ネパールでタクシーを利用するのなら、なるべく安く値切り交渉し、釣り銭を相手に準備させないようにあらかじめ小銭を準備することだ。
おそらくだが、見るからに怖そうだったり、雰囲気的に危険そうな人物は割合少なそうだから、強気で臨めばなんとかなると思う。
スマン氏との邂逅
車の多い大通りに信号機などは勿論なく、重い100リットルザックを担ぎ、スキをみてすばやく横切る。
車はそこまでスピード出して走ってるわけではないので、歩行者が横切っていたらうまく避けてくれるか止まってくれる。
タメル地区への細いメインストリートに入ると、3週間ぶりの懐かしい光景。
カトマンズに戻ったら懐かしく思えるのか?という感情を事前に想像してたけど、やはり懐かしかった。
たった1日半しか滞在しておらず、また初めてのネパールでカルチャーショックを受けた街。
しかし、もはや懐かしいと思ってしまうのは、一人旅あるあるか?
まずはエージェントの事務所へ直行する。
時間がギリギリになってしまった。。
狭い建物に入ると、そこにはスマン氏が。
どうにかギリギリ間に合ってよかった。
とても歓迎してくれて、なんとその場でビールを奢ってくれた。
まずは旅中のあれこれを色々話して、とても楽しかったことを伝えた。
昨日中にカトマンズに戻ってきていたはずのダワから、少し話は聞いていたようで、チュルーウエストの登頂ができなかったことをスマン氏は既に知っていた。
しかし、登頂が出来たか出来なかったかは私にとってはそれほど重要ではなかった。
私はスマン氏に、このように話した。
「長年ヒマラヤに憧れつづけてきて、このネパールへ、そしてアンナプルナの地に訪れるのを実行できたこと。山旅をしているときの1日1日が、かけがえのない貴重な体験の毎日であり、幸福度の高い充実の日々を過ごすことができたこと。これこそが私にとって最も重要なことでした」と。
そこまで話すと、
勝手に感極まってきて涙が出てきてしまった。
そんな私をみて、スマン氏は何も言わずにただ、黙っていた。
しかし私の感情は、しっかりと伝わっていたように見えた。
他にも、この旅を実行するにあたり、すごく参考にした日本人のWebサイトがあったことや、
ヒマラヤが地球上でも稀に見る素晴らしい自然であり、ネパールという国とここに住う人々がみんなとても暖かく、素晴らしい体験ができたという話をした。
そして日本もまた素晴らしい国なので、機会があったら訪れてみてほしい。
そんなことを話していたら、スマン氏の実兄と名乗る方が現れた。
名前はクリシュナと言っていた。
顔立ちはかなり欧米人的であり、人種はコーカソイド(白人)と思われる。
彼もまた気さくな人柄で、私が日本人と知ると、
「自分は実は寿司職人なのだよ。実はフランスに渡って寿司屋を営業している。これが私の作ったお寿司だよ」と言い、スマホの写真を見せてくれた。
驚いたことに、いわゆる外国人が好む「カリフォルニアロール」的な寿司ではなく、完全に握ったシャリの上に新鮮なネタを乗せる本格的な日本の寿司だった。
きっと味わいも、日本の寿司そのものであるに違いない。
この兄弟は、共にビジネスセンスに富んだふたりなのだろう。兄のクリシュナは優しく気さくでお喋り好きな感じであり、ひたすら寿司作りのアツいパッションを私に語ってくれたのだった。
そんなひと時が過ぎ去り、
「タトパニ〜ゴレパニ〜ナヤプル」までの1泊2日追加トレッキング分の代金(24000ルピー)を支払い、
そして私は登山修了証として、スマン氏から最高到達標高を記入してもらった証明証を授かったのだった。
登頂こそはできなかったけれど、「ヒマラヤ6000m峰の登山に間違いなく挑戦した」という公的証書をいただいた。
それをもって、今回の登山ツアーは終了となった。
あとのイベントは、明日早朝のエベレスト遊覧飛行と、明後日夜の空港までの送迎。
これらを残すのみとなった。
前日にダワとゴンブーが運んでくれた荷物(高所靴・ヘルメット・その他クライミングギアが入ったダッフルバッグ)は、この事務所に確かに届いていた。これを受け取り、今回再び宿泊する、すぐ近所にある「ホテル・タメル」へ移動。
徒歩で3分の距離なので楽勝である。
ホテルに着くと、以前にも応接してもらった若い受付スタッフが、相変わらずの満面の笑顔で迎え入れてくれた。
部屋は前回は5階だったが、今回は2階だった。
夕飯
荷物を置いて、早速街へ出て、夕飯タイム。
適当に歩いて、良さそうと思った店へ。
今回は、「Jasper Reataurant」というBARへ。
わりと綺麗めなお店。
ここでTUBORGのビールとカリフォルニアロールとダルバートを注文。
カリフォルニアロールを頼んだおかげで、
ダルバートを食べると超腹一杯に。。(苦
カリフォルニアロールは味的にも要らなかったな。。
ちと失敗。
ダルバートは美味しかった。
量が多かったので、ダルバート単品で十分だった。
すでに時間も遅く、翌朝は早朝からマウンテンフライトなので、寄り道せず宿に戻って、シャワーを浴びて入眠。
カトマンズの街の賑わいは、ホテルの壁ごしに伝わってくる。
決してうるさい感じではなく、ほどよく耳触りのよい雑音で、異国の旅の雰囲気を感じながら、快適なベッドの中で眠りに入った。